空海を支えていたとされる人物に、
佐伯今毛人(さえきのいまえみし)が
挙げられてる事が知られています。
今毛人は平安京を造営したとされ、
遣唐使の大使に任命されていたのに
篁同様に唐に渡らなかったとされ、
彼の場合は病気が理由とされます。
小野篁の時期の遣唐使は、
最後の遣唐使とされており、
後に菅原道真が遣唐使に
任命されるも異議を唱え、
廃止された事になっています。
篁の遣唐使は838年なので、
会昌の廃仏の数年前ですが、
この遣唐使は777年なので、
結構な間が空いています。
そして今毛人と深く関わった
空海が遣唐使に任命されます。
空海は今毛人の斡旋により
大学寮に入ったものの、
即座に辞めて仏教に傾倒し、
後の足跡が良く分からない
状況になっているようです。
今毛人の顔を潰したような
身勝手な行動をしたのは
真実なのでしょうか。
佐伯氏は空海の謎の解明に
外す事は出来ませんが、
大きく取り上げられては
いない感じを受けます。
空海の謎を解明するためには、
小野篁より一つ前の遣唐使が
非常に重要となってきます。