張宝高の務めた上大等は
新羅の最高官職とされており、
一王代に一人が任命されて
王と共に進退する職務とされ、
彼の評価に疑問を浮上させます。
彼をただの海商に関わる人物と
扱う事が出来なくなりますが、
信羅の最高官職であったなら、
一勢力ではなく一国との関係で
考えなければいけなくなります。
宮田麻呂は密貿易でなく
新羅との関係で動いたなら、
北九州における彼の活動を
見直す必要が浮上します。
日本と唐・新羅連合による
戦が行われたと仮定すると、
大宰府は地政学上重要な
ポイントとなって来ます。
大宰府が彼の使者による
朝貢を拒絶したとする話は、
新羅との軍事的な衝突を
隠蔽する意図での捏造か、
大規模な物が想定されます。
そもそも大宰府の名称は
筑紫都督府とされますが、
都督府は唐の機構です。
宮田麻呂は貿易ではなく
軍事的に新羅と関係し、
これが隠蔽されたため、
不明瞭な人物のままに
御霊神社に祀られる事と
なったのでしょうか。