中国古典には、長期計画への深い見識があります。
『管子』權修に記された一節には、
様々なスパンでの計画を提唱しています。
上恃龜筮、好用巫醫、則鬼神驟祟。
故功之不立、名之不章、為之患者三。
有獨王者、有貧賤者、有日不足者。
一年之計、莫如樹穀。
十年之計、莫如樹木。
終身之計、莫如樹人。
一樹一穫者、穀也。
一樹十穫者、木也。
一樹百穫者、人也。
我苟種之、如神用之、舉事如神、唯王之門。
上の者が占いに頼り、呪術師を好んで用いれば、鬼神が祟る。
ゆえに功が立たず、名が顕れず、三つの病をなす。
王の独裁あり、賤しさあり、日の不足あり。
一年の計は、穀を植えるにしくはなし。
十年の計は、木を植えるにしくは莫し。
終身の計は、人を植えるにしくは莫し。
一を植えて一得るは穀なり。
一を植えて十得るは木なり。
一を植えて百得るは人なり。
誠にこれを植えれば、用は神の如し、
事をあげるに神の如くあるは、王の門のみ。
儒教の経典である五経に易経が入っていますが、
これは一般に言われる占いの経典として
挙げられている訳ではなく、
古代中国の政治と神や易との関係は
現代に考えられているようなものでは
無かったようです。
神の権威をかさにきたり
自らが神であるかの如く奢る事で
国を潰す危険性について語り、
天の代行者としての責務を果たさずに
革命が起こり国が攻め滅ぼされた歴史が
儒教経典に語られていますが、
現代はどうでしょうか。
現代は国としての長期ビジョンに欠け、
企業も長期的な見識を持つ事が少なくなりましたが、
論語にはこう語られています
子曰。善人教民七年。亦可以即戎矣。
孔子は言った、善人が民を七年教えれば、また戦争に使えよう。
子曰、如有王者、必世而後仁。
孔子は言った、もし聖王あらば、必ず一世代で仁の世となろう。
子曰、善人爲邦百年、亦可以勝殘去殺矣。誠哉是言也。
孔子は言った、 善き人が国を百年治めれば、
残虐殺戮を去る事ができると言うが、これは本当の事だよ。
朱子は次のように語っています。
凡看文字、如七年・必世・百年之事、皆當思其如何作為、及有益。
およそ文字を見るに、七年・必世・百年の計のごときは、
皆いかに為すかを考えれば益があろう。
今後、コロナやオリンピック景気の終焉に伴い、
都会から地方への移住が行われ、
地元での経済の循環が重視され、
食料自給の流れが出る可能性があります。
食料自給率が低いのに食生活を見直さず、
普段から備蓄しておけば問題ないのに
何かあると買い溜めに走るようでは、
危機管理としては危うすぎるでしょう。
地方でどの様な長期的なビジョンを持ち、
具体的に何をするかを考え準備する事は、
いざ事が起こった時に慌てて対応するより
有益な結果を生むか可能性は遥かに高いので、
三遠の地では古代の遺産を強みとした
多面的な展開を模索していくべきだと思われます。
戦後は追いつき追い越せのビジョンがありましたが、
今後にどのようなビジョンを持って計画を立てればよいかを
具体的に考えるための情報も流していこうと思いますが、
貴方はそれぞれのスパンで何をすればよいと思いますか。