律令制と八百万の神々の序列化

古事記は聖徳太子が摂政を務めたとされる
三十三代・推古天皇の記述で終わり、
日本書紀は天武天皇の妃とされる持統天皇で終わります。

聖徳太子の時代から天皇中心の中央集権国家の確立が始まり、
それを完成させたのが天武天皇とされています。

天武天皇は律令制を導入して新たな身分秩序を設け、
自身や皇族や地位をより高いものとしましたが、
伊勢神宮を頂点とした神々の序列化も行ったとされます。

天武天皇は壬申の乱で必勝祈願のために
伊勢の神宮に遥拝(遠くから拝む)し、
神宮の加護で壬申の乱に勝利したとして
伊勢の神宮を天皇家専用の神宮とし、
天照大神を頂点とした八百万の神の序列化が
行われたとされています。

壬申の乱で攻め込まれ奥三河に隠れ住んだ民が
鬼道を継承してきたのが花祭とする説を提唱してきましたが、

伊勢の国 高天原が ここなれば 集まり給へ 四方の神々

と謎のうたぐらが花祭に存在しているのは、
古代の伊勢と鬼道が関係しているからなのでしょう。

伊勢の神宮や太神宮が本来の呼び名で
伊勢神宮は正式名称ではありません。
伊勢の名は神武東征に抵抗した
出雲の神・伊勢津彦から来ているもので、
伊勢神宮と呼ぶと出雲の神の神宮になります。

伊勢の神宮は倭姫が元伊勢と呼ばれる地を転々とし
最終的に行き着いた場所とされていますが、
鬼祭で有名な飽海神戸神明社にも倭姫の伝承があります。

この時代に藤原京に造営して移住したとされるのは、
三遠に存在した古代王朝を古事記・日本書紀で封印し、
西日本をベースとした国家運営をするためだったのでしょうか。

倭の五王・武は東西を統治したと語っていますが、
日本の歴史は西日本に重点が置かれたもので、
明治になり東に重点が移りました。
今後、遷都があれば、また西日本中心の世界観で
運営されていくのでしょう。

世界情勢では西洋文明主導が続いてきましたが、
東洋か西洋かの議論はあっても中が存在しません。
西日本と東日本の中心である三遠が
倭王・武であるヤマトタケルが東西を統治した
国のまほろばであったのであれば、
新たな時代の中心軸として東西を統合するだけの
価値の提供できる地なのかも知れません。

自然界に神々を見る八百万の神の国である
この国本来の在り方とその威光は、
トヨタを初めとした世界企業を輩出するだけの力を
断片的にですら発揮し続けているものであり、
本来の価値を発揮する事が出来れば、
ピラミッド型に上部が搾取し続け
環境破壊で贅沢をしている現代文明に
新たな価値を提示する拠点として
有志が集まり動きを出していく流れを出す
世界的な聖地となりうるでしょう。

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