謎の天皇伝承

日本の歴史を調べると、
どちら側か判断に迷う
人物が何人か登場し、
文献だけ読んでいても、
分からない事があります。

天武天皇と天智天皇は、
文献から判断すると、
壬申の乱の勝者は
天武側になりますが、
色々と判然としません。

何故か豊橋に天智天皇が
来たとされる場所があり、
実地調査から得られる
違和感が余りにも酷く、
簡単に書けない話しです。

執筆の前に天皇陵も含め、
様々な場所に実際に赴き
参拝してから始めており、
天武天皇陵も天智天皇陵も
実地で赴いて書いています。

神社や故人の墓に行くと、
分かんないけど何か
分かったと言う感覚が
得られる事が多くあり、
初見でガンダムの操縦が
出来る気分になります。

あくまで感覚的な話しで、
ここからの研究が大変な
重労働となるのですが、
これが無いと話が進まず
停滞して書けませんね。

菅原道真の本ですら、
宇多天皇陵に参拝を
行っていなければ、
書けなかった話しが
盛り込まれています。

この本には天皇家が
一系統では無かった
根拠が書かれており、
色々と際どいですね。

豊橋市で天智天皇が来た
話しが残されている所は
色々な意味で危ない所で、
余り出したくないので、
何か言われたとしても
公での議論は面倒です。

ただ倭国の国家祭祀に
纏わる重要な場所の
可能性の高いところで、
奥三河の花祭の根底に
関わっている可能性も
非常に高い所です。

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