小野氏と王権

小野妹子は生年・没年不詳で、
古事記・日本書紀の伝える所は
小野妹子は和珥(わに)氏で、
小野妹子は和珥妹子と呼ばれた
可能性が存在するそうです。

小野妹子は推古天皇15年(607)、
遣隋使として隋に渡った事で
有名な人物ではありますが、
かなり厄介な時代になります。

隋の史書である『隋書』にも
名が記載がされているので、
海外の記述に対応させるため
触れざるを得なかったのか、
この周辺は色々と書きました。

日出處天子致書日沒處天子無恙

と聖徳太子が日出ずる処の天子と
隋の皇帝を怒らせた話は有名で、
妹子は皇帝から預かった返書を
帰国途中に寄った百済で盗まれ、
流罰を命じられたとされます。

しかし推古天皇が助けた事により、
再び翌年に遣隋使なったとされ、
陏に二度渡った事になりますね。

聖徳太子非実在説については、
既に色々と書いているので、
そちらに当たって頂くとして、
問題はこの天子が誰かです。

原文にはアメタリシヒコと言う
男王が登場していますが、
聖徳太子は女帝の摂政なので、
矛盾が生じる事になりますね。

タリシヒコが天皇家以前の
先住民の王名であったなら、
小野氏はそちら側の重鎮で、
岑守や篁もこの流れの上で
空海や橘逸勢に関わった
可能性が浮上してきます。

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コメント

  1. Mii より:

    小野氏や柿本氏の他に、和邇氏から派生した氏族に春日氏がありますが、春日といえば、春日大社の藤原氏が思い浮かびます。全く異なる二つの勢力に同じ言葉が含まれているのは、単に地名に由来しているからでしょうか。全国のあちこちに「春日」と付く地名があるのも気になりますし、そもそも「春日」をどうして「カスガ」と読むのかも不思議に思っています。

    • Katsuyoshi より:

      Miiさん初めまして。

      春日はアスカと関係するのではと考えていますが、アスカをヒンズー語で理想郷とする説があるようですね。

      私はアショーカと関係するのではと睨んでいます。