小野篁が唐に出航していた事が
『続日本後紀』に記されますが、
これが真実であったとすれば、
大幅な歴代の修正が必要でしょう。
新羅との関係で都合の悪い
情報が含まれていた可能性が
見え隠れしてきますが、
ここだけだと余りにも
突拍子もない話となります。
ここで私の行基の研究や、
平城天皇の記事の出番が
やって来る事になりますね。
日本史の研究において、
前提とされる歴代から
見直すべき事が多く、
徐福周辺からの研究の
基盤の上ででないと、
出せない説ばかりです。
篁の父である小野岑守は、
空海とも親交があったので、
空海の渡唐とも関係する
可能性が存在します。
小野篁の遣唐使破棄は
838年の話とされるので、
空海より後の話ですが、
空海の遣唐使も新羅船が
関わっていた可能性も
存在していそうですね。