上賀茂神社の創建が壬申の乱後なら、
これを百済からの侵略戦争とする
私の説に深くリンクしてきます。
下賀茂神社周辺に出雲の痕跡が
見受けられる事は有名ですが、
壬申の乱で戦った天武天皇は
出雲系であった可能性が高く、
このエリアは平安京遷都前には
小野氏の聖地であったのでしょう。
山背国に勢力を保持した小野氏が
山奥に追いやられたのであれば、
惟喬親王が小野宮とされたのも、
大きな意味を持って来ます。
ここは小野小町の時代と重なり、
小町が政治に関与したなら、
彼女の伝承にも裏が存在する
可能性はありそうです。
小町に孫がいた話があるので
小町男性説が存在しており、
美女を口説いたら男だったら、
こまっちゃたと言いたくなる
衝動に駆られてしまいますが、
もう夏なのに寒すぎますね。
くさいセリフを吐いた後に
男なのをバラしてきたら
吐血しそうではありますが、
テロリスト確定ですね。
これだと流石に隠したくなる
衝動に駈られそうですが、
一部には需要がありそうで、
流石にもっと深い話でしょう。
小野小町は小野篁の子なので、
篁が新羅と関係があったなら、
親王も新羅と関係していた
可能性もありそうです。
壬申の乱以前に存在した王朝に
乱の関係者が関与していたなら、
承和の変は想像以上に大規模な
政変に関わっていそうです。