大伴家持が大仏に使う金が
東北で産出された時に
歌ったとされる歌は、
目にした事がある人も
相応にいるでしょう。
葦原の 瑞穂の国を
天降り 知らしめしける
皇祖の 神の命の
御代重ね 天の日継と
知らし来る 君の御代御代
と万葉集でも特異な
壮大な出だしですが、
大伴の 遠つ神祖の
その名をば 大久米主と
負ひ持ちて 仕へし官
海行かば 水漬く屍
山行かば 草生す屍
大君の 辺にこそ死なめ
顧みは せじと言立て
ますらをの 清きその名を
いにしへよ 今のをつつに
流さへる 祖の子どもそ
大伴と 佐伯の氏は
人の祖の 立つる言立て
人の子は 祖の名絶たず
大君に まつろふものと
言ひ継げる 言の官そ
と大伴氏と佐伯氏が大君に
命をかけて仕える雄壮な様を
歌っている部分があります。
貴族の名は戦争が起こると
真っ先に戦場に出る事に
由来しているとされますが、
ノブリスオブリージュが
この国にもあったのでしょう。
古代の軍事の精神を
この歌に見れそうですが、
大久米主の名を見ると、
行基建立の久米田寺を
思い起こさせますね。
佐伯氏も軍事に関わる
貴族であったとすれば、
空海の祖にも関わる
佐伯氏についても、
見直しがいりそうです。
佐伯氏が軍事貴族なら、
佐伯今毛人が平安京の
造営に関わった話は嘘で、
長岡京~平安京造周辺の
軍事的衝突に関わった
可能性が浮上して来ます。