以前、漢水女神や詩経などの
古代中国の水神祭祀について書きましたが、
実際のところ特別な能力はないので
何かが見えると言う事はありません。
歴史の研究を初めて古代の日本や中国などを調べると、
自然との関わり方が変わってきて、
池や川を見ても表情があるように思えてきました。
朝倉川には雄略天皇(ヤマトタケル)の
初瀬朝倉宮があったのではと書いた事がありますが、
朝倉川は高貴な感じのする川なので、
貴人が輩出された感じはしています。
川辺で美しい風景を眺めていると、
川の神がいてもおかしくない感じになりますね。
山の神や川の神の祭祀が行われていたのは
詩経などを調べれば分かりますが、
碵人という表現が幾つも見受けられ、
祭祀で水神の仮面を被った人を意味する説が
存在しているようです。
花祭も鬼神の面を被り一体化しますが、
古代中国にもそういった祭が存在して、
自然の恵みに感謝していたようです。
農業でも儀礼を行い自然の恵みを与えてくれる
山や川、穀物の霊など、様々な存在に対して
一緒に喜び会う祭が存在していましたが、
これが徐福と共に中国から入って来たなら、
自然との関わりは現代よりも遥かに豊かだったのは、
最近、感覚的によく分かります。
コロナで健康に気を使う人が多くなったのでしょうが、
自然との関わりは免疫力を上げるので、
自然との関係性を見直す時期ではないでしょうか。
大地や空、山や川などに神々を見る
八百万の神々を感じる事の出来た古代人の感性は
日常のささやかな風景にも神秘や幸せを感じられるもので、
現代人が思い出す価値のあるものなのでしょう。