承和の怪異

承和の変が起こされたのは
承和九年とされていますが、
それ以前に様々な問題が
国内に見られたそうです。

承和五年から六年にかけて、
天候の不順や彗星の出現、
物粧などが続いた事により、
しきりに読経が行われています。

承和五年七月五日には
伊豆国賀茂郡の神津島が噴火、
噴火による降灰は近畿・北陸の
一六力同に及んだももの、
損害がなかった事から、
豊作の予兆とされています。

伊豆国で祝や刀禰を集めて
これをトったところ、
三嶋大社の本后・阿波神が
無位であった事を怒り、
祟りを起こしたとされます。

神階昇叙に尽力しなければ
国郡司を滅ぼすが、
阿波神の願いを聞き入れれば
天下・国郡を平安にするとし、
朝廷は阿波神と御子神に
神階を授けたそうです。

これに継いで承和七年前後に
火山の異変による神階の叙位が
しきりに行われています。

承和七年七月に内裏で物桩が生じ、
出羽国の大物忌神の祟りとする
占いの結果が出たそうです。

承和七年九月には大宰府が阿蘇郡の
健磐龍命神社の神霊池が涸れたと
朝廷に異変を報じた事を受け、
仁明天皇は伊勢神宮に奉幣し、
国異として祈禱させています。

翌年の承和八年三月には、
神霊池の異変は旱疫の予兆と
占いの結果に出た事により、
寺院での斎戒、神社での祈禱、
雑徭の減免等が命じられています。

承和六年十月には出羽国で
雷鳴が起こっただけでなく、
石兵(武器の形をした石)が
降った事が伝えられた事から、
大物忌神の神威を畏んで、
位階・封戸が充てられています。

出羽国飽海郡の鳥海山の火山活動は、
飢饉・疫病や蝦夷の動静と絡めて
考えられて来たとされています。

鳥海山の大物忌神については、
詳しい事は分かりませんが、
鳥海山の神の異変は国家的規模で
受け止められていたそうです。

飽海郡と言えば安曇族に由来し、
邪馬台国の神となるのであれば、
この周辺に先住民族の神々が
階位を上げられていた事を
伺う事が出来そうですね。

ここは仁明天皇の時代とされ、
淳和天皇に譲位された事が
伝えられてはいるのですが、
淳和朝が継続していた
可能性もありそうですね。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする