逸勢の人となり

『橘逸勢伝』は以下の様に伝えます。

贈從四位下橘朝臣逸勢者、
正一位左大臣諸兄曾孫、
右中弁從四位下入居男子也。
爲性放誕、不抅細節、尤妙隸書。

延曆二十三年(方貞元二十年)三月癸卯、
從遣唐大使正四位上
右大弁藤原朝臣葛野汎渤海、
留住唐國、歴訪明哲、受業學之。
唐中文人呼爲橘秀才。

大同元年(方元和元年)八月□、
從遣唐判官正六位上高階眞人遠成歸朝。

弘仁元年四月庚辰有制。
改殿閣及諸門之號。皆額題之。
使逸勢書北面門額。手跡見在。

(寫本云、此間凡十七行文字二百二十許爲脫落。)

彼の人格を放蕩で細部に拘らない
書にしか秀でた所のないような
人物として記していますね。

これは彼の生存中の書ではなく
12世紀に記された物とされ、
何百年も後に書かれた内容です。

どこまで信憑性が存在するかは
難しい所がありそうですが、
彼の謎を解くには同期である
空海との関係を探る必要性が、
浮上して来る事になります。

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