漢字の研究に大きな功績を残した人物と言えば
白川静氏が真っ先にあげられるでしょう。
氏の残した本は膨大な量にのぼり、
一部の研究には問題が指摘されているものの、
大幅に研究を前進させた功績は認められます。
氏の研究を叩き台にして様々な説が出る事で、
より古代の精神が理解されてくるのでしょう。
以前に使われていた漢字の意味を紐解くと、
現代で使われてるイメージと全く違う意味で
用いられるようになったものが幾つもあります。
「礼」は「禮」と書かれていました。
現代では表面的で形式的なものと考えられていますが、
神を祀る時に使う祭卓(供物などを置く高い台)の形である
「示」の文字に「豊」が合わさっています。
「豆」は儀礼の際に食器や礼器として使われた脚のついた
フタつきの食器である「たかつき」の形をあらわし、
その上の供え物が盛り付けられた形となっています。
礼の乚(乙)は押さえる事を想像させるもので、
内面を踏まえたものから表面的なものに
礼の使われ方が変化してきています。
日本で言う礼儀作法も本来は儀礼的な意味があり、
外面的な形式のみに拘るのは本来の姿ではなく、
豊かにする事のないものは礼ではないのでしょう。
「神は禮でなければ受け給わず」と古語にありますが、
現代のパワースポット巡りのような感覚には
本来の禮の姿からかけ離れた部分があるのかも知れません。
古代の三遠の聖地について実地で研究をしてはいますが、
情報を見て行く人達が禮を弁えているとばかりは言えず、
現地で深刻な問題を引き起こしいているケースもあります。
我々の先祖が禮をもって大切にしてきた聖地であれば、
どのような姿勢で関われば良いかが分かるでしょう。