『チ。地球の運動について』は
完璧に今季の覇権アニメですね。
世界の認識が変わるだけで、
同じ星空を見ても全く違う
景色に見えると言う事は、
実際にあり得る話でしょう。
五話を見たら天と地が調和し、
地が切り離された穢れている
認識から脱した事によって
星空が美しく見える話で、
近頃珍しくゾクッとしました。
地動説を知った神父が今までの
間違った知識と共に嘔吐する
表現も秀逸極まりないですね。
この世には救いが無くて
あの世にしか存在せず、
信仰しないと地獄に落ちる
精神自体が地獄の牢獄に
囚われている状況でしょう。
権力者の道具となった宗教は、
奴隷として民から搾取して
精神の自由を与えないので、
この状況こそが地獄と言えば
言えるのかも知れません。
地動説の理論的な話より、
精神の牢獄から解き放つ
魂の価値がある事の方が、
より重要なのでしょう。
私の行おうとしている事も、
ある意味これと似ている
行為である事は確かです。
間違った歴史の知識を元に
世界を見ている状態は、
真に世界を見ている事に
なっていないのかも知れず、
牢獄から解き放たれれば、
違う景色が見えて来ます。
同じ神社仏閣をみても
全く違う物に見えて来て、
山や川にも生命や美を
感じる事が増えて来ます。
古代では天神地祇と言い、
天地の神々への祭祀が
行われていましたが、
自然は地の神の領域です。
自然の美しさを感じるのが
地の神々に感応する精神の
賜物であるのであれば、
地を搾取対象としてきた
近代合理主義的な世界観で
自然を見ても感動しません。
宗教と歴史は密接に関係し、
キリスト教も聖書に書かれた
アダムとイブの原罪からの
歴史の流れが前提に無いと
成立し得ない信仰です。
歴史にもサニワが必要であり、
特殊な知識を知っただけで
優れた人になった幻想に
囚われてしまうのであれば、
地獄の牢獄の中でしょう。
多少見栄えの良い牢獄も、
解放された時の美しさに
叶う事は無いのでしょう。
最近出した菅原道真の本には、
ビザンツ帝国(東ローマ)や
ネストリウス派キリスト教、
コンスタンティノープル等の
歴史に触れておきましたが、
知らない人は結構います。
本には書いていませんが、
三位一体の教義の成立には
ギリシャ哲学の影響があり、
「始めにロゴスありき」の
ロゴスもギリシャ語です。
ロゴスを言葉と訳した事で
言霊的な話に結びつけられ、
ギリシャ哲学を知らないと
解釈を間違えそうな話も
存在している状態ですね。
上にあるが如く下にもありは
錬金術で有名な思想ですが、
地動説を知った事により、
この解釈に至っていました。
異端とされたこの思想も
古代のヤマトに存在し、
我々の先祖は星空を見て
深い宇宙の神秘を感じた
可能性が存在しています。
自民・公明が過半数割れで
日本も変革の兆候が見え、
次の時代をどうするかが
問われる時期にあります。
新たな時代に移行しても、
精神の牢獄の中にいれば、
見えない物もあるでしょう。
これに取り込んでいる人が
見当たらない状況なので、
私も苦労を続けています。
巨大なダムも蟻が小さい
穴を開ける事が出来れば、
決壊させる事も可能です。
大きな流れを出すための
突破口を開けれたなら、
後に続く研究によって、
瓦解させられますね。
その時に見える景色が
どの様なものかにより、
何をすれば良いかも
見えて来るのであれば、
この時代の要請として、
逃げる訳にはいきません。