司馬遷の記した『史記』の「秦始皇帝本紀」「淮南衡山列伝」に
徐福の名が登場しています。
『史記』秦始皇本紀・秦始皇二十八年(B.C.219)の条では、
秦の始皇帝が泰山に上って封禅の儀を行いった後、
琅邪山の麓で琅邪臺(ろうやだい)を作り、
始皇帝の徳を讃えるための石碑を立て終わると徐福が語ります。
斉人徐市等上書言。海中有三神山。名曰蓬莱方丈瀛州。僊人居之。
請得斎戒興童男童女求之。於是遺徐市發童男童女數千人入海求僊人。
斉の人徐市(徐福)等、上書して言う。海の中に三神山があり、
名を蓬莱(ほうらい)・方丈(ほうじょう)・瀛州(えいしゅう)と言い、
仙人がいるので斎戒させた童男童女で探しに行かせて下さい。
ここに於いて徐福を遣わせ童男童女数千人を発し仙人を求めて海に入った。
徐福は日本に渡来し王となったのであれば、
この国で封禅の儀を行ったのでしょうか。
東三河には嵩山(スセ)の地名があり嵩山の蛇穴で有名ですが、
山に上っている時に偶然遇った登山者の方に聞いたところ、
中国から来た人が山の形が中国の聖山である嵩山に似ていると
この山を嵩山と名付けたと伝わっているそうです。
東三河に古代中国の山岳信仰が持ち込まれていた可能性があれば、
天地の神に王の即位を知らせ天下太平を感謝する儀礼も
古代日本で行われた可能性は高いでしょう。
封禅の礼が行われた泰山は五岳の一つとされ、
五岳(中岳嵩山、北岳恒山、東岳泰山、南岳衝山、西岳華山)の中でも
中心に対応する嵩山の名のつく山が東三河に存在していたとすれば、
この地も聖なる地として崇められていた可能性が高いでしょう。
封禅の儀の行われた場所は概略見当がついており、
徐福の墓の候補も2つ見つけていますが、
表に出すには色々とクリアしなければいけない問題があり、
ブログや本の執筆のみではクリア出来ません。
この地域の知名度が上がり時流を読めるセンスのある人達が
日本の中心地であるこのエリアで時代的な動きを出す流れが出れば
色々とやり易くなるのは間違いありません。
どちらかと言うと霊能社や宗教家ではなく、
様々な業界で今後どうしたら良いかを考えられる人達が
セミナー等を開くのが好ましいと思っているので、
三遠で活動する際に聖地の情報を伝えて
展開に繋げていって頂けたらと考えています。