日本の貨幣経済

現代人は金に追われる人生を送っていますが、
日本の貨幣は和同元年(708)開始の
和同開珎(わどうかいちん・わどうかいほう)が
記述に見られる最初のものとされています。

朝廷は和同開珎を定着させようと
様々な政策を打ち出していきますが、
銅が不足し必要な貨幣量を作れなくなり、
素材はほぼ同じで価値を十倍にした
「万年通宝」を作ります。

貨幣に対する信頼が無くなり経済は混乱し、
最終的には和同開珎と同じ価格設定になり、
奈良~平安時代にかけて12種類の通貨を発行するも
万年通貨と同じような価格設定をして銭離れが起き、
天徳二年(958)には銭の鋳造を辞めて米・布が貨幣とされ、
平安時代の末期まで続いたとされています。

米・布が通貨として扱われたのは、
以前から使われていたからだと考えられているようで、
江戸時代にも藩の力を示すのに何万石と言う表現をしますが、
米の生産高を経済力として認識していました。

銅などの金属を使った貨幣やデジタルな数字は
米のように消費期限があるものではないので、
自然の恵みや循環を計算に入れない経済思想になり、
金を膨大に溜め込み権力とする考えを増長させています。

国内を二分する壬申の乱の後に貨幣経済が始まったとすると、
花祭の起源である邪馬台国の鬼道が行われていた時代は
現代とは違った経済システムで運営されていたのでしょうか。

古墳から黄金の装飾品などが発見されているので、
これらに価値が認められていた事は分かりますが、
徐福が儒教を持ち込んでいたとすると、
古代中国の経世済民の世を治め民を救う社会運営がなされ、
農業を国の基盤に置き農耕儀礼で天地の神々の恵みに感謝し、
共に収穫を喜び会う社会を作っていた可能性は高いです。

現代ではビットコインなどの仮想通貨が生まれていますが、
投機目的で関わる人が殆どで根本的な考えは大差ありません。
アトム通貨なども発行されていますが、
米のように一定期間で使えなくなる通貨が流通すれば、
地域経済をまわし一部に権力が集中し地方が痩せ細る流れを
解消する事に貢献するかも知れません。

貨幣の最も古い記録メソポタミアのもので、
穀物等の収穫物を神殿の倉庫に預けていた時に
誰がどれだけ穀物を預けているのかの預り証として
預けた分量を貝殻に刻んだもの(あるいは銀)を
用いたとされています。

古代中国では貯貝器(ちょばいき)と呼ばれる
宝貝を入れる器があり貝が貨幣とされていました。
日本で見つかった貝塚に棄てられた大量の貝も、
貨幣としての宝貝の痕跡であり、
貨幣として使用できなくなり投棄された
跡だったのでしょうか。

東京に全国の金が集まり地方が枯渇する現在、
金に対する考えも様々に見直してみる必要が
あるのかも知れません。

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