六甲山中に数ある磐座の中で
三国岩は特に有名ですが、
一説には二万六千年前も前に
造られたとされるそうです。
巨石が人工的に積み重ねられ、
一番上に見える穴は北極星とされ、
周りを三角形型の線刻が取り囲む、
特殊な形状をしているそうです。
ここには北斗七星の形に似た穴も
存在しているとされるのですが、
見ても良く分かりませんでした。
NPO古代遺跡研究所主宰であった
中島和子(よりこ)氏による
重要な発見だったとされますが、
故人となってしまったそうで、
話が出来なくなり残念な事です。
六甲山修験道の北斗七星の中に
組み込まれた三国岩ですが、
それ以前の北斗七星に関わる
祭祀が行われていたとすれば、
系統が違っていそうですね。
二万六千年前と言えば徐福より
遥かに古い話になって来て、
学術的な研究対象とするのは
文献が無く難しそうな話です。
となるとロマンの対象となり、
これはこれで楽しいですが、
神がかって色々とするなら、
サニワも必要となって来ます。
学術的な研究対象として
イワクラ祭祀の研究が進み
重要性が認識されたなら、
自然環境の保護に対しても
新たな観点が提示される
可能性が存在しています。
イワクラ祭祀だと私程度で
古代の修験道の完全な復元が
可能だとは思われないので、
おかしな祭祀を行っても、
価値があるとは思えません。
カタカムナが本当に六甲山と
密接に関係していたとすれば、
六甲山の古代イワクラ祭祀に
言及があって良さそうですが、
復元は難しそうですね。