保久良神社

倭宿禰の像が置かれている
保久良神社は江戸時代に、
天王社と呼ばれていました。

天王と言えば四天王か
牛頭天王が有名ですが、
もう少し西に移動すると、
牛頭天王に纏わる聖地が
存在してはいますね。

四天王か牛頭天王かで、
系統が変わって来ますが、
牛頭天王も大概複雑です。

ビーナスブリッジ近辺には
太子道が存在していますが、
聖徳太子の事かと思いきや、
弘法大師のようですね。

しかし綱敷天満宮境内には
聖徳太子が祀られており、
聖徳太子は四天王を信仰し、
四天王の一柱の毘沙門天は
六甲山西側に多く見られます。

それだけでなく神呪寺から
下った所にある門の左右に
四天王の中の二像が置かれ、
妄想が掻き立てられます。

聖徳太子と関係する秦河勝は、
播磨国に墓が存在しています。

赤穂の大避神社から見える
生島が秦河勝の墓とされ、
神域で禁則地とされています。

伝承では弓月国から持ち帰った
この国最古の雅楽の面として
伝えられている胡王面があり、
智天使とされる像が彫られ、
妄想が掻き立てられますね。

月氏の詳細は邪馬台国の本に
書いておいたのですが、
この月は月読命ではなく、
もっと別の大きな問題に
深く関わっていそうです。

この神社は六甲山とも
深く関わっていますが、
安倍晴明の本にでも
書こうと思っています。

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