子供の頃に日本丸が豊橋港に来た事があり、
見学に連れていってもらった覚えがあります。
豊橋を中心とした三河港は、
国内屈指の国際貿易港とされています。
トヨタは三遠出身で愛知県に拠を構えていますが、
自動車の輸出入の金額・台数とも全国第一位とされ、
ドイツのブレーマーハーフェン港と並ぶ
世界的な自動車輸出入港ともされます。
昔から港を拠点に経済が栄えましたが、
海洋交易で栄えた安曇族もこの地を重視し、
渥美半島も安曇の名から来ています。
豊橋は古墳の密集地ですが、
ここから北関東にも古墳が伝播し、
日本列島の太平洋側の交易に
古代から重要な地とされていたようです。
古代において寂れたと思われている三遠も、
交易の重要な拠点であったのであれば、
素晴らしく栄えていた可能性がありますが、
『義楚六帳』に記された徐福居住の地は
長安のように栄えていたとされています。
蔵王山も霊位第一と記されていますが、
方位等の記述が東三河とは合いません。
『東三河の徐福伝承』にこの周辺の問題を
一通りクリアした研究を書いておきましたが、
多角的に調べないとこの地に対比させるのは
難しい内容があります。
田原の蔵王山は龍の形をした山脈の頭にあり、
豊橋の東にも頭を西に向けた龍形の山脈もあります。
義楚六帳に「竜神報護す」と書かれた徐福王朝は
この三遠の地で龍神の加護を受けて
かの長安の都のように栄えたのであれば、
山と海の恵みに囲まれたこの地を繁栄させるには
目先の欲で自然から搾取するのではなく、
道理を踏まえ自然の神々への感謝をする事が
必要なのでしょうか。