倭の姫の街道

豊橋と浜松の間に山脈と浜名湖がありますが、
浜名湖の北の本坂峠を東西に経由して、
静岡県磐田市見付町と愛知県豊川市御油町を結ぶ
姫街道が存在しています。

姫街道は各地にあり、ここだけの名前でないので
特殊な道とする事は出来ないかも知れません。

姫の名の由来にも様々な説があり、
何が正しいかははっきりしませんが、
三遠の歴史を研究してきた結果、
総合的に見ると興味深い仮説が提示できるので
ここでシェアしたいと思います。

姫街道は古く東海道の本道とされ、
二見(ふたみ)の道と呼ばれていたそうです。

二見の地名は伊勢の神宮付近にもあり、
二見浦と夫婦岩で有名な二見興玉神社があります。
三重県中東部の度会郡(わたらいぐん)に二見町がありました。
『和名抄(わみょうしょう)』に二見郷と記された
神宮に塩を奉納した御厨(みくりや・神饌を調進する場所)です。

三遠の地は伊勢との関係が深い事は
今まで本に幾つも書いておきましたが、
奥三河の花祭で榊鬼と問答するのは度会氏です。
度会氏は伊勢の外宮と関係があり、
猿田彦を祀る二見興玉神社は
伊勢125社から外されているので、
共通する要素が垣間見えます。

伊勢の二見には現在の地に至るまで
元伊勢を転々とした倭姫との関わりがあります。
垂仁天皇の皇女・倭姫命が天照皇大御神を奉戴し、
二見浦に御舟を停められたとき、
興玉大神(猿田彦)が海上の厳島に出現したそうです。

倭姫の元伊勢伝承地は書物によって違う場所を記しています。
渥美半島の姫島、豊橋(渥美群)の飽海神戸神明社など、
三遠にも倭姫の伝承がのこされており、
ここに二見の地名があるのであれば、
姫街道の姫とは倭姫を意味しているのかも知れません。

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