養生訓

以前、「雑草を食べる」の記事で大和本草を紹介しましたが、
この本の著者である貝原益軒は若いころに医学を学び、
黒田藩に儒者として仕え、様々なジャンルの本も書き残しています。

日本の教育論のさきがけともされる「和俗童児訓」を記し、
ヨーロッパで最初に幼児教育の重要性に着目したコメニウスと同時代に
児童の段階に応じた教育法をのべています。
ものを食べ、言葉を発しはじめる段階からの教育を重要とし、
過保護を戒め、詳細なカリキュラムを提唱しており、
現代にまで影響を与えています。

自宅の庭で花や野菜の栽培した経験から「花譜」「菜譜」を著し、
肥料の与え方、移植の時期など植物の栽培方法について詳細に記し、
宮崎安貞が日本最初の農業書「農業全書」(1697年)の作成に
多大な影響を与えたとされています。

彼は農業以外にも博識で歴史学者、地理学者としても優れ、
広く国中を見聞して「筑前国続風土記」を書ました。

彼の残した本を見ると、知識量を誇るのではなく
実践的な知恵に満ちているのが分かります。

彼の書で最も知られている『養生訓』(ようじょうくん)は、
体だけでなく心の養生も説き、食生活、運動、口腔衛生、
薬のメリット・デメリット、老後の過ごし方まで、総合的に扱っています。
妻も養生の実践をし、晩年も夫婦で物見遊山の旅にでるなど、
現代人の見失ったトータルな人生の幸福についても考えさせられます。

世に富貴・財禄をむさぼり、人にへつらひ、
仏神に祈り求める人は多いが、効果はない。
無病長生を求め、養生を慎み、身を保とうする人は稀。
富貴・財禄は外にあり、求めても天命がなければ得がたい。
無病長生は我にあり、求めれば得やすい。
得がたき事を求め、得やすき事を求ぬのは、愚であろう。
たとえ財禄を求め得ても、多病で短命であれば、用はない。

医療を軍事に例えるなど現代では余りない発想もあります。

古の君子は、礼楽を好んで行ない、射・御を学び、
労動に励み、詠歌・舞踏して血脈を養い、
嗜慾を節にし心気を定め、外邪を慎しんで防いだ。
この様につねに行なへば、鍼・灸・薬を用ずして病なし。
これは君子の行う処、本をつとめる法、上策である。
病が多いのはみな養生の術がないから起こっている。
病がおこって薬を服し、痛い鍼、熱い灸をして、
父母から授かった遺体を傷つけ、火をつけて、
熱痛をこらえて身をせめ病を癒すのは、
はなはだ末の事、下策である。
例えば国を治めるに、徳を以てすれば
民は自から服して乱は起こらず、攻め打つ事を用いず。
また保養を用いずに、ただ薬と針灸を用いて病を攻めるのは、
例えば国を治めるのに徳を用ひず、下を治める道なく、
臣民は恨んでそむき、乱を起こすのを鎮めようとして、
兵を用いて戦うようなもの。
百たび戦い百たび勝っても、尊ぶに足らぬ。
養生をよくせずに、薬と針・灸と頼んで病を治すのも、
またこの様なものだ。

ヨーロッパでは第二次世界対戦で兵糧攻めにあったので
食料自給率100%を前提としているようですが、
危機管理としての食や健康も考えるべき時期なのでしょうか。

医者にも上医・中医・下医がいるとしていますが、
上医に恵まれない危険性も考えれば、
自分の身は自分で管理する必要があるのでしょう。

第一巻の総論上には養生の目的と意義が述べられています。

人の身は父母を本とし天地を初とす。
天地父母の恵みを受けて生まれ、
また養はれたわが身であれば、私の物ではない。
天地のみたまもの、父母の残せる身であれば、
慎んでよく養い、そこない破らず、天年を長く保つべし。
これは天地父母につかへ奉る孝の本である。
身を失っては、仕うべき用なし。
わが身の内、少は皮膚、髪の毛さえも父母から受かったもの、
みだりにそこない破るは不孝である。
ましてや大なる身命を、私物として慎まず、
飲食・色慾を欲しいままにし、元気をそこない病を求め、
生まれついた天年を短くして、早く身命を失う事は、
天地父母への不孝の至り、愚であろう。

儒教では天下国家の前に家を整え、
家の前に身を修める事が順序とされています。
江戸時代にこれほど総合的な健康指南がなされたのに
文明が進んだはずの現代が不幸と病気で溢れているのは
何が原因なのでしょうか。

人体は小宇宙と言われるほど精巧に出来ています。
江戸は身体文化も優れたものがあり、
現代では考えられない長距離を歩いています。
花祭には古来の身体の運用が残っていますが、
日本列島の歴史の中には未来へのヒントが
数多く見つかるでしょう。

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