神戸と新羅

六甲山神社は廣田神社の場外末社で、
神功皇后が三韓遠征で持ち帰った
神石を納めた伝説が残っています。

本殿は拝殿奥にある石祠ですが、
裏のイワクラが御神体であり、
やはり本来の廣田神社の祭祀は
縄文にまで通じていそうです。

創祀は不明とされてはいますが、
石の宝殿の石扉の刻銘中に
慶長十八年(1613)とあって、
越木岩神社の氏子らの建立と
判明しているそうです。

しかし六甲山神社の白山神社に
菊理姫が祀られていますが、
芦屋神社にも菊理姫が祀られ、
関係性を匂わせていますね。

菊理姫はシラヤマキクリヒメと
呼ばれるのが一般的ですが、
となるとこの白山もシラヤマで、
先住民族祭祀に関係しそうです。

芦屋神社の御祭神・天穂日命は
六甲山中に祭祀場と岩倉があり、
古くから六甲山と芦屋が関係した
可能性を示唆していますね。

シラヤマのシラは新羅と関係し、
新羅はシルラやシラと呼ばれ、
花郎(ファラン)と呼ばれる
修験者に似た密教修行者が
存在していた事が知られます。

朝鮮半島で新羅から唯一、
ギリシャ・ローマの出土品が
発見されている事は有名で、
特殊性を際立たせています。

邪馬台国が反新羅・親百済なら、
ハクサンを神功皇后に絡んだ
六甲山神社に祀る事に対し、
疑問が浮上して来ますね。

慶長十八年は安土桃山時代の
後の話となって来るので、
南朝の時点で復興していた
祭祀が潰された可能性も、
考慮せざるを得なくなります。

神功皇后が新羅征伐に行った
伝承が残されてはいますが、
彼女も新羅と同盟を組んだ、
ヘレニズム側だったのでしょう。

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