灘区御影の綱敷天満神社の社殿は
六甲山を向いて建っていますが、
神社北の桜ヶ丘(神岡)からは
十四個の銅鐸と七本の銅戈が、
出土した事で知られていますね。
社宝は銅の塊とされていますが、
出来立ての青銅器は黄金に輝き、
祭祀に関わる神社であった事を
伺う事が出来そうではあります。
しかしこの神社の創建を見ると、
後堀河院の御宇に道真公の末裔が
太宰府に移動する最中に立ち寄り、
道真公が立ち寄った事を思って
社を建立したとしている様です。
神社の由緒はこの周辺に、
銅細工に関わる技術者集団の
鏡作部がいた説を示し、
中世までは山の上に
鎮座していたとします。
御影町北部の山麓は竜神岡と呼ばれ、
その中の天神山(現・御影山手)の
荘厳な祭壇地に太古は祭祀され、
この地域一帯の総鎮守であったと
説明がなされていますね。
ここで天神が登場して来ますが、
時期的に見ると菅原道真公より
銅鐸時代に関わりそうなので、
私の天神=鬼道説が浮上します。
八咫鏡を造ったとされている
石凝姥(いしこりどめ)神が
鏡作部の祖神とされており、
三角縁神獣鏡を造ったのが
この鏡作部であったなら、
これも神器っぽいですね。
この神は日前神宮・国懸神宮の
御祭神とされていますが、
実地調査に行った時は大変で、
罰ゲームのような状況でした。
銅鐸時代は徐福渡来からで、
徐福の痕跡を抹消するための
歴史的な捏造が行われたと
見る事が出来そうな話です。