豊橋市自体の都市伝説

私が飽海遺跡の問題について、オカルト的な騒ぎに出来る内容にする意見を頂いた時、ピンと来た話がありました。 こんな記事を書...

豊橋市役所の都市伝説を
記事に上げたのですが、
これ以外も色々あります。

豊橋駅周辺を見ても
ピラミッドが存在し、
どこかが騒がないかと
期待していたのですが
誰も話題にしませんね。

都市伝説ネタであっても
一応は話題になるので、
何も話題性の無かった
豊橋市在住の民として、
寂しい所はありました。

私も以前は豊橋市には、
ブラックサンダーか
ヤマサのちくわ位しか
話題性の無い土地だと
思っていた時期があり、
田舎感が強かったです。

周りが山と海なので、
愛知県の中にあっても
陸の孤島に近い感じで、
仲間外れ感が強いです。

他では尾張の民から、
じゃんだらりんの
方言をディすられる
印象がありましたね。

「だらー」「やりん」は
いかにも田舎感が強く、
やるじゃん辺りはまだ
他でも使いそうな感じが
ありそうな気もします。

よく方言女子が可愛いと
言っている人がいますが、
ただ可愛い子が方言を
言っているだけだと、
個人的に考えています。

兵庫県西宮市の市章は
六芒星(ダビデの星)と
酷似している事から、
ユダヤと関係について、
噂される事がありますね。

3つのカタカナの「ヤ」を
組み合わせた中央部分に
「西」があると説明され、
関係は無いと言われます。

ただ何だかんだ言っても
六芒星には見えるので、
そのイメージがつくのが
嫌であれば使わないとは、
個人的に思う所ですね。

そして偶然にも豊橋市の
市章も独特な形状であり、
二つの三角がくっついた、
独特な形状になっています。

六芒星は火と水の三角形が
重なった形になっていて、
豊橋市と兵庫県の関係性が
市章の形にも見られるのは、
面白いネタだとは思います。

豊橋市章の千切(ちぎり)は、
江戸時代に吉田藩主であった
松平大河内家の馬印であった
千切小御馬印(おうまじるし)に
由来しているとされています。

この馬印を真横から見て
デザインしたとされますが、
若干引っ掛かる所があって、
色々と書こうと思いました。

松平大河内家の祖は
伊豆守信綱とされ、
その曽孫の信祝が
江戸中期に城主となり、
明治維新まで160年間、
吉田を治めたそうです。

吉田藩では江戸中期に、
日本史に影響を及ぼす
重大な出来事があり、
これは現代にまで尾を
引いている大問題です。

ただこの話を書くなら、
菅原道真の後に数冊は
書かないと説明出来ず、
体力的に書けずに終わる
可能性が高い感じです。

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