ギリシャ哲学と女性

男女に纏わる悲喜劇は古今東西に際限なく、
昔から小難しい言葉や感情的な言葉など、
様々な異性への愚痴が溢されていました。

プラトンは女性を理性的な生き物と考えることができるか聞かれ、
ハッキリとした回答が出来なかったようです。
アリストテレスはみな魂を持っていても程度の差があり、
女性は出来損ないの男性で劣等(より物質的)な形態としました。

新プラトン主義を唱えたプロティノスは、
『プロティノス伝』の冒頭でこう記されています。

われわれの時代に現れた哲学者プロティノスは、
自分が肉体をまとっていることを恥じている様子であった。
そしてこのような気持ちから彼は、
自分の先祖(種族)についても両親についても生国についても、
語ることを肯んじなかったのである。

女性とそれに通じる肉体や物質世界を
蔑視する考えがギリシャにあったようですが、
アリストテレスの弟子のアレクサンダー大王は
女性蔑視をする事はなかったようです。

アリストテレスがギリシャ人以外を差別していたのを
アレクサンダー大王は民族での差別を行う事なく、
侵略した国の婦女子に暴行する者は
処刑にすべきだと語ったとされています。

ギリシャ神話にもムーサやデメテル等の女神が存在し、
女神が蔑視されていた訳ではなかったようですが、
女性の扱いに苦労させられるのは古今東西共通で、
男女ともにピンからキリまで色々な人がいても
異性に厳しい人が多いのも変わっていないのでしょうか。

一応儒教についても述べておくと、
哲人王のように男性のみが重視されず
王妃の責任も言及されていて、
王は籍田の礼で農作業に関わり、
王妃は養蚕で祭祀用の服を作ります。

西洋哲学の流れや比較は結構行われていますが、
東洋の儒教なりとの比較研究は余りみかけないので、
こちらの側面の研究の流れも出て欲しいところです。

プラトンはアリストテレスから異教的と言われたように
一神教に近い思想があったので、
後に新プラトン主義はキリスト教に流れ込みます。

アレクサンダー大王に比べると、
他の哲学者はいかにもモテない男な感じですね。
大王についての思想的な部分については、
『アレクサンドロス東征記』等をみると
大王の優れた資質については言及されていますが、
他の哲学者のような活動に関しては記録されていません。

アレクサンダー大王が哲学書を残していれば、
世界史の流れは全く違ったものになったでしょう。
むしろ後の世界史の流れを見ていくと
意図的に隠された可能性が見えてくるのですが、
ここをしっかりと本にしたいと思っています。

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