貝塚とタカラガイ

以前、古代中国で宝貝が貨幣の代わりとして使われ
貯貝器(ちょばいき)が存在した事を書いたついでに
貝塚の貝も貨幣で使われていた仮説も書きましたが、
日本にも貯貝器があった可能性があるようです。

京都府舞鶴市内の最も古い遺跡は
由良川の下流域にある志高(しだか)遺跡で、
縄文時代前期初頭の土器が出土。
市内には由良川沿いに地頭遺跡・和江遺跡などの
縄文遺跡も発見されています。

志高遺跡で弥生時代中期の墓が発掘され、
宝貝が詰まった弥生土器の壷が出土したそうです。

森浩一氏は『京都の歴史を足元からさぐる』で、
この土器は豪族の墓の埋葬品であり、
中国式の貯貝器であった可能性を示唆しています。

宝貝から見つかった貝には多くの品種がありますが、
キイロタカラガイが良く見つかっています。

殷(B.C.17〜11世紀)や周(B.C.11〜8世紀)では
キイロタカラガイが大量に出土しています。
貨幣や贈り物として使用され、
王墓の副葬品として大量に埋葬されたそうです。

殷や周は海に面していないので、
台湾、南中国海、沖縄周辺でとれたものが
運ばれたと考えられているようです。

思いつきで貝塚が宝貝と関係ある説を書きましたが、
貝塚については詳しく調べていなかったものの、
普通にありえそうな感じですね。

個人的にはこの貝の交易には安曇族が関係し、
殷帝国と古代日本に密接な関係があった可能性を
モヤっと考えてはいるのですが、
本を書かないといけないのでスペックが足りず、
詳しく研究をするならその後ですね。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする