羅山と吉田神道

惺窩の神道説は『千代茂登草』以外の
著作には書かれてはいなかったので、
江戸初期に儒家神道が盛んになったのは
羅山の功績が大きかったとされれいます。

羅山の神道の師は清原秀賢・東山の老僧・
神竜院梵舜・藤原惺窩の四人とされており、
いずれも吉田神道に関係しています。

吉田神道の大成者・吉田兼俱の五男が
清原宗賢の養子となったのを皮切りに
両家が深い関係を持ったとされており、
吉田神道の影響を受けた神儒一致の
原始的な儒家神道を提唱しました。

一子相伝の秘伝までは継がなくとも、
かなり深い所まで吉田神道を理解した
羅山が江戸幕府に関わったのなら、
なぜ彼は儒者としてしか認識されず、
神道家とはされなかったのでしょうか。

鎌倉幕府や南朝のイデオロギーとなった
伊勢神道を継ぐ吉田神道を学んだ羅山が
江戸幕府の中枢に関わっていたのなら、
鎌倉幕府や南朝との深い繋がりを有した
幕府運営が成されていたのでしょう。

これを敵視する勢力の筆頭候補が
平家となるのは当然でしょうが、
北朝天皇=平家王が私の説であり、
これに絶対服従をさせようとする
国学派に平家の影を見るのは、
私だけの偏見なのでしょうか。

京都の吉田神社に行き話をすると、
伊勢神道の神道五部書が偽書と
言われている事について聞かれ、
通り一辺倒の回答をしましたが、
本格的に語ると大変な話です。

この偽書問題にも平家の影を
見る事が出来るのですが、
羅山がそれ以前の神道との
橋渡し役であったとすれば、
彼の認識に間違いがあれば、
神道そのものを見失います。

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