江戸幕府と天人合一

羅山の神道説を見てみると、
政治の根幹を天人合一した
為政者が天地の神々と共に
輝ける世を創る儒教の思想を
先鋭化させた事が伺えます。

現代では聖人君子が云々などと
言われる事もあるのですが、
そもそも聖人君子の定義自体が
本来とは異なって来ています。

内在の神性である理を磨くのが
学問のキモであったはずなのに、
理を弁えず責任を誤魔化す
政治家ばかりが表に出る世に、
明治以降は堕落していますね。

大人ぶっても内実は愚昧であり、
神に通じる程に自らを磨き上げた
達人の域とは程遠い人物であれば
小人と呼ぶに相応しいはずなのに、
儒教を曲解させる事で逃げ道が
作られた形になっています。

内在の神ではなく外在の力を与える
神の名を語る悪魔と契約する事で
権力を得る様な政治が行われたのが、
近代日本なのは了承出来るでしょう。

自然との循環をほぼ完璧に
こなしていたシステムは、
自然を支配し略奪する思想で
ほぼ根絶させられています。

この根幹に旧約聖書に見られる
信仰が存在している事が問題で、
キリスト教からの神道批判も
羅山との関わりが見られます。

明治維新でイギリスが介在し、
垂加神道の思想を受け継いだ
薩長がこれと組んだ事により
クーデターを起こしたのなら、
彼らにとって都合の悪い学問の
起点に位置する林羅山こそは、
排除すべき対象となります。

両面ないし多方面から検討せず
羅山を一方的に悪く言う事は、
羅山を都合が悪いと思う勢力が
介在していたと見たとしても、
大きくは外れていなそうです。

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