愛知県は知を愛すると書きますが、
愛知はソクラテスの会話に数多く出てくる言葉です。
東三河には秦の始皇帝を欺き渡海先で王となった
徐福渡来伝承が残されていますが、
秦の始皇帝陵から発見された兵馬俑には、
ギリシア彫刻の影響が見受けられます。
秦とギリシャに関係があるとすれば、
徐福が日本にギリシャの文明を持ち込み、
フィロソフィアを意味する愛知の地名の
根拠となった可能性はあるのでしょうか。
ソクラテス・プラトン・アリストテレスは
抽象的な概念を弄んでいた訳ではなく、
実地の政治の本質を追及していました。
プラトンはアカデメイアで哲学を教えますが、
数論、幾何学、天文学、物理学なども総合的に教え、
現代の学校教育の源流となりました。
当時のギリシアは度重なる戦争で衰退し、
衆愚政治で対応できる状況ではなかったので
実践的な哲学理論を持つ政治家を育成する事による
ギリシャの復興が目的とされました。
孔子も私塾を開いて高い評価を得ましたが、
現代に連なる東西の思想の源流に
似た部分が多いのは興味深いところです。
プラトンは善のイデアを最高のものとしますが、
儒教では至善に止まると言っているので、
至善は善のイデアに通じるものがあるのでしょうか
孔子は止まる時と止まる所を知らなければ
鳥にも及ばないと語っていますが、
政治家や経営者、親など様々な立ち位置で
止まるところを知っている人は
現代ではどれだけいるのでしょうか。
愛知県の名の由来にギリシア哲学との関係があったかは
非常に薄い繋がりしか見いだす事は出来ませんが、
プラトンやアリストテレスが様々な政治形態をあげ、
民主主義の問題を含めた議論をしているものの、
総合的にメリット・デメリットを精査する教育をせず、
伝えられた問題そのままの事をしているのは
さすがに知恵が足りないでしょう。
三遠の徐福王朝の実相を研究するには、
孔子のみの研究では不足していて、
古代ギリシアまで視野を広げないと
当時の政治・経済・宗教・教育・軍事・文化など、
実際はどうであったかの基礎研究が弱い状態で
表面的な地域振興で終わりそうです。
現代日本では四書五経やギリシャ哲学の本を
まともに読んだ上で語っている人は少なく、
聞きかじりの大雑把なイメージで語っている人が
かなりの数に登るのではないでしょうか。
江戸幕府に勤めるには五経が必須とされましたが、
五経には天の代行者としての責務があると記され、
一般的なイメージとは違った政治概念で
運営されていた事が分かります。
プラトンはキリスト教に取り入れられ
西洋の基盤に関わる思想となりましたが、
徐福王朝の存在したであろう愛知県には、
東洋と西洋の思想の源流となるものが
統合された王朝が存在したのでしょうか。
古代ギリシアも多神教的な世界で
様々な聖霊と共存し輪廻転生の思想のある
世界観であったようですが、
それらを踏まえた上でソクラテスの哲学には
現代から見ても高い水準の思考があり、
儒教ではあの世に対して詳しい説明はないですが、
朱子は学びが天徳に達すれば自然に分かるとしました。
愛知県は愛知の名に恥じる事のない
真理を愛しその上に実社会を運営するような
深い思想のある地域となって欲しいところです。
箱モノを作るなどは時代的に合わないので、
歴史を生かした文化的な事業が必要となります。
東西の源流に関わる文化が存在していたとすれば、
これを生かさない手は無いでしょう。