以前、花祭の本を書こうと思い調べていたのですが、
どれだけ調べても分からない事があり、
豊橋の白山比咩(シラヤマヒメ)神社を参拝しました。
古戸の花祭はシラヤマでの祭の後に行われるそうで、
花祭の神を祀る神社であれば挨拶に行って
先方の意向も確認してからの方が
勝手に本を書くより良いと思ったのですが、
その後に図書館に資料を探しに行くと、
花祭は関係ないジャンルに置かれた本が
目に止まりました。
そこには今まで知らなかった用語があって、
花祭の深層は大陸規模にまで広がると言う
壮大な可能性が開けてきました。
シラヤマの神に本を書く許可を貰えたと
解釈して良いかは分かりませんが、
何かしらのアクションをしない限り
数年先に花祭がどれだけ残っているか
分からない状況なので、
本を出したり色々と活動しています。
白山と書いてシラヤマとハクサンの
別の呼び名がされる神社に分かれますが、
ハクサンは被差別部落に多いそうです。
白山比咩神社でも花祭が行われたそうですが、
これは奥三河の花祭とは別物ですね。
寛文五年(1665)に神輿を新しく作ったことから
安海熊野神社(後に神宮寺、明治以降に吉田天神社)から
出発した神輿が中柴町の諏訪神社に行く途中、
紙で桜花を作って竹に刺したものを背負い
踊りながら練り歩く祭が行われ、
八町の鬼祭、関屋の祇園祭とあわせて
吉田の三大祭と呼ばれたそうです。
『豊橋三大祭の深層』に書いた三大祭は
重なってはいるものの近年まで違っていたとすれば、
以前の三大祭の深層についても調べた方が良いでしょうか。
花祭は他にお釈迦様を祝う祭もありますが、
白山の花祭が奥三河と関係あるかは現状不明です。
寛永十三年(1636)境内に銭座(ぜにざ)が設けられ、
江戸時代の全国統一通貨である「寛永通宝」が作られます。
神社で銭を作るのは現代では想像する事はなく、
政教分離で行政が金を出さなくなってきていて、
経営が大変だったり金に纏わる問題が多いイメージですね。
江戸時代には、金、銀、銭(銅)の「三貨制度」と
地域通貨の藩札(はんさつ)の双方を活用する事で、
高度な経済力を発揮したとする見方もあります。
明治に藩札が廃止されると東京一極化が進みましたが、
統一通貨と地域通貨のメリット・デメリットを考慮し、
両方を使い分けるのは現代に特に必要そうですね。
白山比咩神社境内社に金山彦神を祀る
新銭座金山神社が祀られていますが、
私の研究では徐福の可能性大です。
徐福王朝の経済や貨幣はどの様なものだったのか、
秦帝国やその周辺の歴史を探れば何が見えるでしょう。
ペルシャでみられたサトラップと秦の制度が似ており、
兵馬桶と同様、他国からの影響が見られます。
白山菊理姫は日本神話でイザナギが黄泉の国から逃げ帰り
千引岩戸を置いて妻神と話をした時にアドバイスした神とされ、
何を話したかは不明とされています。
この周辺も本にできないか、頑張って調べています。