学研ムーの記事に『知られざる「天皇」の暗号』があり、
則天武后と天武天皇の関係について触れられているようです。
私もこの周辺をブログで記事にしたのですが、
則天武后が天武の后に則すると書くとした研究を
人の説をパクって書いたと物と思われるかも知れません。
この説と全く同じ研究を提示している訳でもなく、
天武天皇についての解釈は完全に違っているようです。
私は天武天皇は先住民族王権の王であり、
別名を大海人皇子と呼ぶように、
海人の皇子・安曇族の王であったと考えています。
この周辺の話は十年以上前に地元の歴史の先生と話をし、
倭国が朝鮮半島の白村江に出兵して大敗した周辺の
歴史の洗い直しが重要だとする結論になりました。
因みに『豊橋三大祭の深層』はこの頃に既に書き終えています。
この周辺の歴史は何重にも面倒な部分があり、
豊橋公園の地で行われていた邪馬台国の鬼道が
攻め込まれて奥三河で隠れて花祭として継承されたり、
古事記・日本書紀の編纂により三遠の歴史が隠される等、
日本史上の重要な分岐点にあるとする研究を
今まで提出してきました。
日本を二分して戦う壬申の乱が起こり、
三遠の古代王朝の痕跡が抹消されたとすれば、
同じく時代の節目である現代において
この問題にどう向かい合うかは
今後の大きな流れに関わってくると思われます。
日本のアイデンティティーに関わる重要な部分として
学説のみで終わらせて良いものでもなく、
私の説が正しいか否かよりも研究の流れを出して
祭や御神体山の保護・活用などを始めとした
有益な動きに繋がっていく事こそ大事だと考えているので、
宜しければ情報の拡散をお願いします。