江戸の儒教の見直し

良く儒教は徳治主義だと
言われる事がありますが、
どう言う意味かを聞くと、
答えられるでしょうか。

『春秋左氏伝』の中には、
新たに上に立つ人に対し、
何もしなくても治まるのは
徳がある人だけだから、
お前は厳しくしなさいと
注意する話があります。

優しく接したら部下が侮り、
厳しくする事で動いた事が
記されているのですが、
現代で言う所の理想主義と
異なる事が分かります。

理想論と簡単に言っても、
武術で理を追及していく
修行に通じるのであれば、
達人に至るための道筋を
学べるカリキュラムが
重要となって来ますね。

どこでどうねじ曲がったか
政治が命掛けのリングに
上る事であったとするなら、
十分な研鑽が必要でしょう。

上が宜しく無い運営をし、
下に責任を押し付けて
多くを殺せば本末転倒で、
優しさは責任の伴わない
事無かれとは違います。

現代の精神世界を見ると、
この責任がスポイルされた
耳障りの良い話ばかりが、
広まっている感じがします。

言ある者必ずしも徳あらずは
大勢が知っている格言ですが、
続けて仁ある者必ず勇ありと
孔子が言った話はマイナーで、
やはり行いが重要とされます。

林羅山は仏教を批判したと
伝えられてはいるのですが、
大乗仏教による一向一揆と
近い時代の人物でもあり、
背景に色々ありそうです。

羅山の墓参りに行きたいと
計画を立ててはいますが、
行けるかどうか微妙です。

江戸時代は神道と儒教が
ペアで議論されており、
現代人の考える儒教は、
羅山系とは違っています。

この流れが現代における
神道やスピリチュアル観に
影響を与えているのなら、
羅山の研究を進める事で、
根幹が洗い治せそうです。

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