儒教の天祭祀の変更

儒教では天を祭る事は天子にのみ許され
郊祭と言う儀式の説明がありますが、
藤樹は大乙神を士庶人も祭るべき神とし、
「年譜」33歲の条にはこうあります。

古君子ハ天ヲ祭リ、人ハ天ヲ祭ルノ礼ナシ。
此祭ヲ以テ士庶人天ヲ祭ルノ事トス

正統的儒学者とは全く異なる思想に
流れを持って行った事が分かりますが、
全ての人間が皇上帝・大乙神と対峙し、
強い緊張した関係を要求しています。

『大乙神経』の本文は現在に残らず
詳細の解明は私には出来ませんが、
ここまでで考える限り儒教の天から
一神教的な信仰にすげ替えられる、
一連の流れが確認出来るでしょう。

大分息苦しい感じになっており、
羅山の内在神の思想とは異なる、
外部の絶対者への服従の強要が
儒教界でも見られるのであれば、
江戸時代の儒教を一括りにして
考えて良い物なのでしょうか。

絶対的な存在を背景にすれば、
何でも神の名の下に正当化され、
オウムもこんな感じでしたね。

現代ではヨガの認知が広まり、
オウムでヨガを語る様な事は
行われなくなりましたが、
神道・仏教・儒教・道教と
何でも都合良く改変をして、
犯罪行為が行われて来ました。

大乗仏教もアショーカ王の
仏教を塗り替える目的で
捏造された可能性について
本に書いた事がありますが、
同じ事の繰り返しでしょうか。

偽の歴史を強要する事によって
歴史から学ぶ事が出来なくなり、
同じ詐欺で騙せるのであれば、
現代でも歴史の鏡を磨かないと
危険な話しはありそうです。

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