伊勢と鎌倉

伊勢参拝は一般人には許されず、
天皇とその后、皇太子以外は、
朝廷貴族ですら私的に参拝は
出来なかったとされています。

更に問題なのが天皇ですら
参拝をした痕跡がほぼ見当たらず、
明確な記述は明治天皇からです。

平安末期の天皇制国家の崩壊と共に
神宮の経済を支える神戸制が衰退、
経済地盤を東国の武士階級の寄進に
大幅に依存する事となります。

ここに神々の下剋上がはじまり、
伊勢神道が隆盛する事により、
豊受大神が復権してきます。

平清盛と関係の深い厳島神社は
ペルシャの影響が指摘され、
ゾロアスター教の痕跡が見えます。

唐から持ち込まれた三つの一神教が
政治・経済基盤の変化と共に支配を弱め、
先住民族の鬼道が復興してきたのが
伊勢神道だったのでしょうか。

永暦二年(1161)源義宗が伊勢に
相馬厨房(みくりや)を寄進した時、
大日本国が全て皇太神宮と豊受宮の
御領であるがゆえと語っています。

源頼朝は元暦元年(1184)に提出した
後白河上皇への意見書に書いた内容に
わが国は神国であるとあるそうです。

鎌倉幕府のイデオロギーの伊勢神道は
内宮と外宮を並列的に扱っており、
鎌倉の地には石清水八幡宮と
伊勢の神宮が勧請されましたが、
先住民族の系統の祭祀にも
積極的に関与が認められます。

頼朝は重要な様々な神社と関わり、
富士阿祖太神宮の復興のみでなく、
三遠にも足跡を残しています。

頼朝により鬼の面が寄進された神社が
豊橋に存在しているところを見ると、
かなりの部分まで分かっていたでのしょう。

頼朝は隠された歴史を踏まえた上で
朝廷への対策と平行しつつ、
武家政権のイデオロギーとして
鬼道を復興させたのでしょうか。

この遠因となったのが平将門の乱や
志多羅神事件であった事を考えると、
「ええじゃないか」の源流には
未だ知られざる時代変革の要素を
感じさせるに十分ですね。

神道五部書に史実と違う要素が
指摘される事がありますが、
時代の変革に対応するための方便で、
上は歴史の裏を知っていたのでしょう。

この流れは徳川家康にも続き、
家康も古代王朝に連なる神社を
幕府で優遇していた事は
家康の暗号』に書きました。

古代ヤマトの威光は消え去っておらず、
幕府を支える力とされたのでしょう。

幕末の「ええじゃないか」で終わらず
大平洋戦争敗戦後の日本の復興など、
現代に至るまで影響がある事も
いずれ書くかも知れませんが、
ここまで書くと歴史のロマンでは
なくなりそうな感じがしますね。

トヨタの世界的飛躍や浜松の音楽を
少しだけ書いた事はありますが、
現代に至る流れを見ていく事で、
古代王朝の影響をより深く認識できます。

現代日本の立て直しに必要な力を
ここに求める事が出来るのであれば、
有効に活用して成果を出す人が
数多く出てきて欲しいものです。

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コメント

  1. シャイニー より:

    家康の暗号 早く探したいです
    三つ葉葵 これに近いような善光寺のお印 京都にも(賀茂?)近い紋様があったような
    最近はバンされてしまうので断定した書き込みは控えています
    「トヨトヨ…」アメリカインディアンのシャーマン(女性)が連呼しながら拝んでいるようで 興味があります
    先人の知恵と努力に思いを致し 土の匂いのする歴史に接していることのしあわせを感じます