真墨田神社と鬼道

犬山市の桃太郎神社参拝の帰り道に、
尾張国一宮の真墨田神社に寄ってきました。

ここは七世紀に創建されたと伝えられ、
天武天皇側の村国男依を祀っているので、
壬申の乱の後に建てられた神社ですね。

村国と聞くと村雲を連想しますが、
ムラクモが元であれば饒速日命や
外宮の度会氏とも密接に関係します。

672年の壬申の乱で村国男依が活躍し、
760年代に藤原仲麻呂に引きたてられ、
以前ブログで書いた藤原仲麻呂の乱の後に
村国氏が衰退したとされているので、
壬申の乱の後も抵抗していたのか、
この時に自立の反抗を行ったのでしょうか。

古代世界最大の内乱とされる壬申の乱は
一年半継続したとされていますが、
この地はその段階では無事だったのか、
幾つか仮説が立てられそうです。

古代世界最大の内乱とされる壬申の乱も、
実際には内乱ではない痕跡が存在するので、
ここがヤマトと日本の分岐点になります。

犬山市の桃太郎伝承も壬申の乱絡みなら、
やはり鬼退治は鬼道祭祀を制覇した
伝承である可能性が高そうです。

とすれば岡山と同様にこの地でも
花祭が行われていた可能性があり、
レイライン上の桃山の太陽神祭祀は
霜月ではなく春分に行われた可能性も、
無きにしもあらずですね。

この地でも鬼道が行われていたなら、
鬼道は北九州に限定された祭ではなく
列島の広域で行われていたもので、
ニニギより前に天孫降臨したとされる
饒速日命の神道であったのでしょうか。

各地で鬼道が行われていたとすれば、
花祭も奥三河に限定する必要はなく、
各地での復興を行う意義があるので、
全国に波及すれば舞手の確保等の継承問題も、
クリアする方向が見えてきそうです。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする