農耕祭祀の復興

農耕祭祀の記事を書く前に、
古代忌部氏の神社に行って
報告をしてきましたが、
ここは農耕のメッカですね。

外宮の神は豊受大神と言い、
稲荷も本来は農耕に関わる
重要な神とされています。

昔の豊橋には稲荷山と言う
重要な聖地があったのですが、
工事で破壊されしまっており、
日本の農耕祭祀への損害は
深刻であったかも知れません。

稲荷が商売の神とされる事で
危険な雰囲気がついてまわる
怪しい神とされましたが、
農耕には関係ない話です。

ダキニ天は日本に入る前に
狐でなくジャッカルと関係し、
後に独自の推移をする過程で
酷い話がついて回っています。

『アースダイバー』では、
関東の数多くの稲荷神社は
死者と関わると言いますが、
アヌビス神もミイラの神で、
イシスと共にオシリス神を
復活させた事で有名です。

死と復活は農耕のサイクルと
密接に関わるものですが、
オシリス・イシスは穀物神で
国家の基幹とされた農業に
深く関わったいますね。

まさしく豊受大神と同じく、
国家祭祀の基幹に農耕神が
関わっていた事を考えると、
生死のサイクルを越えた
本質的な生き方に関わる
祭祀の欠落の害は深刻です。

食料自給率を落としつつ、
金で贅沢をしてきた日本の
根幹的問題と関わりますが、
飢餓になった時に祈っても、
収穫まで時間がかかるので、
遅きに失する話でしょう。

根幹を押さえず末節だけで
語られた側は迷惑であり、
本来の農耕に纏わる復興こそ
語るべき内容になりますね。

徐福が持ち込んだ赤引糸で
神衣を織って伊勢に送る
おんぞ祭が継承されますが、
豊かな農耕祭祀に関しては
残されていない状況です。

花祭には堅牢地神への
呪術が残されていますが、
人でなく鬼神が呪術をし、
豊作をもたらすところが
興味深い部分ではあります。

大地の神の生命力を
鬼神が呼び起こすのは、
自然と呼んでいる物への
認識が違っている事が
読み解ける事例ですね。

祭により自然界の神々と
目に見える形で交流しつつ
共に造り上げていく姿は、
文明の在り方の根幹まで
考えさせてくれます。

鬼神は厳ついながらも、
どことなくひょうきんで
人間臭い表情をしており、
普通に話しかけてきそうな
暖かさも感じさせます。

これが壬申の乱以前の
邪馬台国の鬼道なら、
先祖達は自然界の神々と
豊潤な関わりを持った
文明を謳歌したのでしょう。

安曇族の移住した地域や
行基関係の聖地において、
鬼神の痕跡が残されますが、
三輪山などの聖地だけでなく、
地元の寂れた神社ですら
花祭が行われていた可能性は
全くのゼロではありません。

豊橋でも複数の神社で
悪者でない鬼が登場する
祭が継承されているので、
案外全国区で行われた
可能性は高そうです。

邪馬台国祭祀が限定された
地域でのみ行われていたと
見る事は厳しいでしょうが、
魏志倭人伝の記述からは、
閉鎖的な印象を受けますね。

他の国を劣った物として
酷い当て字をする書であり、
卑弥呼など失礼極まりなく
劣った祭祀をする印象が
捏造された事が見えます。

魏の国からはヤマトの方が
優れた文明を持っていたと
認めざるを得なかった故に
酷い記述をしたのであれば、
信憑性は地に落ちます。

詩経に記された古代祭祀は
現在に残されてはいませんが、
花祭が継承されている事に
価値を感じざるを得ません。

地球から搾取してきた文明の
在り方を根本から見直すために
意義を有する花祭の復興は、
国内のみでなく世界的にも
価値を発信すべき物でしょう。

過疎化した奥三河のみで
継承を強要するのであれば
余りにも酷と言う物ですが、
全国的な復興をするなら、
十分に継承は可能です。

祭により地域の人間関係も
自然との関係と共に健全化し、
有事にも好影響を与えるなら、
生きる事そのものを根底から
底上げしてくれるでしょう。

現代は諸般の事情により、
花祭も本来の姿での
継承は難しくなっており、
祭の場での宅宣すらも
警察に止められています。

奥三河にある花祭会館には、
昔の花祭を撮影した動画が
保存されているそうですが、
自分の神社や地域において
復興させたい方であれば、
連絡するのも一手でしょう。

シルクロードの終点と起点に
位置するのが日本列島なので、
世界的な問題に対する発信も、
本来はここから行うのが
妥当な在り方ではあります。

武術や伝統芸能などの側面も
重要な価値が見い出せるので、
様々な分野で見直しを行えば、
世界に新たな文化を発信しうる
ポジションも得られるでしょう。

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