大宰大弍の藤原衛によって
新羅の海商に制限が加えられ、
国家間の関係断絶にまで
話が進んだ事になっています。
新羅海商との関係が新羅との
外交問題・軍事問題に発展する
リスクが存在したとされますが、
実際はどうだったのでしょう。
新羅人王請と唐人張覚済の
貿易船の事例が存在しますが、
新羅海商は唐海商と協同で
貿易活動に従事しています。
これは新羅のみならず、
唐との関係悪化も意味する
大きな問題であった事を
伺う事が出来そうですね。
藤原衛についても謎があり、
これは後々述べるとして、
新羅海商は海商だけでなく、
海軍とも密接に関わります。
これが会昌の廃仏の終焉と
時期的にリンクする事に、
どんな意味があるのでしょう。