浜松とピュタゴラスと音楽

高校生の頃にギターをしていた事があり、
どこを押さえるとどの音がで鳴るかを特定する
金属の横棒のフレットの位置関係に
興味を持った事があります。

弦の何分の何のポイントを押さえると
音(振動数)がどう変化するかという
数学的な理論がありますが、
現代では数学と音楽は別物扱いでも、
古代においては違っていたようです。

ピュタゴラス(B.C.582年 – B.C.496年)に
古代ギリシアの音楽理論の出発点があるとされ、
三平方の定理(ピュタゴラスの定理)で有名ですが、
音楽理論家でもありました。

協和音(調和した音)を作る弦の長さが、
1オクターブ高い音が2対1、
ソとドのような5度では3対2、
ファとドのように4度では4対3の
単純な整数比である事が発見されます。

ド・ソ・ファの三音は、
現代の初歩的な音楽理論でも
最も基礎的な音として重要とされますが、
ピュタゴラス派が解消された後も
音楽の理論的な考察は継承され、
現代にまで至っています。

初期ピュタゴラス派は「万物は数である」と語りました。
数をすべての存在の諸原理・宇宙全体の構造原理とし、
数の哲学的意味も研究されています。

音楽的理論は宇宙の構成の説明へと広げられ、
宇宙の秩序・調和を音楽として考え、
宇宙は「宇宙の音楽」を奏でているとする
「天体のハルモニア」を提唱しました。

宇宙の調和=音楽とするのと同様に、
人間の魂の調和も音楽的に考えられました。
人間の「音楽」も宇宙の真似であり、
調和のとれた宇宙の真似である音楽を通して、
天体のハルモニアを魂のなかに同化し、
浄化することができると言います。

現代に通じる功績を上げたギリシャ人は
かなりの数に及んでいますが、
特定のジャンルをやっていたのではなく、
古代は東西ともに全てのジャンルが
根幹で密接に関係しているものと
考えられていたようですね。

ピュタゴラスは言葉を聞くと
音や色、触覚などを連想する共感覚者だったのか、
理論と感性の双方に共同作業をさせるのは
脳を偏った使い方をさせないために
現代教育でも見直すべきところでしょう。

古代の宇宙哲学をベースに様々な理論を発見した人は多く、
万有引力を発見したニュートンは最初の科学者ではなく、
最後の錬金術師だったようです。

古代中国でも礼楽として音楽が重視され、
音の数学的な考察もなされていますが、
徐福が銅鐸とともに持ち込んだ古代の音楽理論は
ピュタゴラス派に通じるものがあったのでしょうか。

中世にキリスト教への反動が起こり
神やあの世を否定するのが科学的とされてきましたが、
科学的の定義もソクラテスに質問を受ければ
アヤフヤにしか答えられない人も多そうです。

ギリシア神話が古事記に似ているとする説は
数多く出されてはいますが、
経路についてはハッキリしていません。

兵馬俑はギリシア彫刻の影響を受けていますが、
秦とギリシアの関係をどう説明するかで
秦をアレクサンダー大王の別動隊だとする説があり、
「東三河の徐福伝承」に記した私の説は
これとは若干違った結論になっています。

古代の全体的な調和をベースに考える思考は
現代ではかなりの部分が忘れられ、
身体・家庭・地域・職場などで
不協和音を出している所も多いですが、
三遠式銅鐸の出土する音楽の町・浜松には、
不協和音を奏でる現代文明に
音楽から一石を投じる以上の価値を
世界の提供できる深層が眠っていそうです。

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