昼間は丁度良い程度まで
暖かくなった感じですが、
日光が熱くても風は冷たく
相殺されている感じなので、
夜は一気に冬っぽいですね。
神社に行っても黒い蜻蛉は
見られなくなりましたが、
まだ夜には鈴虫の音色が
綺麗に空間を震わせます。
金属板上に砂等の粒子をまき
特定の周波数で振動させると、
幾何学的な模様を形成する
クラドニ図形が存在しますが、
音には様々な神秘があります。
儒教経典には失われた音楽の
楽経が存在していましたが、
もし意図的な隠蔽であれば、
音には政治さえも左右する
影響力が存在していそうです。
となると儒教における礼楽も、
知られていない神秘的側面が
存在したのかも知れません。
私も少しだけ音楽をしたので
音の癒しは感じられますが、
自然界の音楽の素晴らしさは
簡単に真似出来ない領域です。
夜に橋の上を渡っていると、
川辺の鈴虫達の合奏の音で
空間が心地よく震えていて、
幻想的な場を形成します。
目を瞑って聞いていると、
全身が光に溶け込む様な
暖かい感じに包まれて、
涙が流れそうになります。
自然界は地祇(地の神)の
司る領域とされれいますが、
祭祀で良い関係を作れば、
様々な恵みを与えてくれる
存在とされていたとしても、
十分に理解が出来ます。
自然界に多くの美しい物が
存在している理由には、
何が考えられるでしょう。
古代の治水や土木には、
陰陽師や土師氏などが
関わっていましたが、
密教的な修行を修めて
祭祀を行っていました。
吉田神道でも神々との
ネゴーシエーションを
行った記録が存在し、
対話可能な対象として
認識されていますね。
一神教は神を外部に置いて
従属関係を求められますが、
内の神性が外の神と感応し
対話が出来るとされたなら、
世界の見方が一変します。
自然との調和も自然破壊の
アンチテーゼ的な感じで、
一神教的な文明からの益を
享受しつつ責任を誤魔化す、
欺瞞も存在していそうですね。
人間のみが自然界の最上位で
搾取する権限があるとすれば、
他民族は愚劣な野蛮人なので
支配し奴隷にすべきとする、
傲った信仰と同根でしょう。
今年は異常気象でサツマイモも
不作になってしまいましたが、
このまま自然の破壊が続けば
数年先すら危うそうですね。
江戸時代までは天神地祇への
祭祀が継承されていましたが、
儒教による所も多かったので、
大幅に狂ったのは最近です。
神道界から密教が排除され、
後に儒教までもが排除される
流れになってしまった結果、
一神教的な世界観が支配する
偽の政治経済が横行しました。
自然界が神の司る領域で、
どう関係を作るのかが
重視されて来たのなら、
この周辺を洗い直す事の
意義は感じられますね。