林羅山の本名は松永尺五とされ、
十三歳の時に豊臣秀頼の前で
『書経』を講じて満座の人々を
驚嘆させた事が伝えられます。
そこから豊臣氏が滅亡する周辺まで
豊臣秀頼との間に交渉があった事が、
梵舜の日記『舜旧記』に見えます。
少年の頃から儒教経典を読破して
大人を驚かせただけに止まらず、
豊臣側と交流をしていたのなら、
恐ろしい子供であはありますね。
若僧が豊臣の政治経済のコンサルを
していたとすれば驚愕しますが、
この頃から政治の生の情報を得て
裏側まで知っていた可能性すらも
ゼロでは無い事になりそうです。
家康が豊臣を滅ぼそうとした時、
羅山が正当化の言い掛かりを
アドバイスしたとされますが、
豊臣滅亡周辺までそちら側と
関わりがあったのであれば、
色々と見直す所がありそうです。
羅山が国家機密に関わっていた
可能性が高い人物であったなら、
信長周辺の実際の情報すらも、
得ていた可能性はあるでしょう。
信長については大きなテーマで
一冊書けそうな情報量ですが、
ここまで書けると思っておらず
個人研究で終わりそうです。
信長の深層まで知っていたのが
林羅山であったとするのなら、
表に出されていない領域で、
かなりの事があったとしても
おかしくない人物ではあります。