江戸幕府と李氏朝鮮の儒教

隍窩は慶長九年の羅山宛の書簡で林羅山に
朝鮮使節との会見を希望した事が書いてあり、
朝鮮儒学から深い影響を受けた人物であると
考えられて来てはいるようです。

朝鮮では1392年の南北朝合一の年に、
李氏王朝が成立し儒教が国教化されたと
言われているのが厄介な所になります。

日本における南北朝の戦争と半島に
密接な関係が存在したであろう事は、
容易に推察がつく話にはなります。

ここをがっつりやると大変で、
織田信長の本にでも書こうかと
考えてはいた研究なのですが、
他にも作業が多すぎ未着手で
終わる可能性が高そうです。

この前段階である契丹の時代に
半島がどうであったかの研究は、
菅原道真の本に書きましたが、
既存の歴史に疑問が浮上し、
見直すべき領域が存在します。

平家により契丹との関係が隠蔽され
日本が閉鎖的であったとされる
歴史観が強要されたと言うのが、
私の研究の結果になりますね。

南北朝の戦が半島と関係しなかったと
言う方がおかしい気もするのですが、
李氏朝鮮の歴史の見直しも併用して
行わないといけないのであれば、
結構な分量になってしまいます。

李氏王朝の儒教はキワモノとされ、
これに影響を受けたのが羅山なら、
かなり微妙な話になりますが、
鎌倉幕府や南朝では朱子学を
官学として活用して来ました。

羅山が吉田神道と関係したなら、
彼の朱子学は南朝に由来する
可能性すらもありそうですね。

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