八幡潰し

水戸藩には二千七百も寺社があり
仏教が隆盛していましたが、
光圀らの改革で七割の寺院が
統廃合され消失したとされます。

江戸幕府が諸宗寺院御法度を布達する前、
水戸藩は寺社整理のために調査を行い、
この開基帳に基づき社寺を破却しました。

水戸藩内の2386寺から1098ケ寺を整理、
神社は一郷一社制の制定だけでなく
神仏分離を強要して僧侶を追放し、
仏像を破却し幣か鏡の変更を強要します。

この中でも八幡神社に対する対象は
悲惨を極めていたとされるので、
八幡改めは呼ばれていたものの、
後世には八幡潰しと伝えられます。

祈祷を中心とする全ての寺院を廃止、
修験者・山伏を追放して還俗させ
行人派(羽黒修験)は完全に処分され
山伏は八割、天台宗は七割に及びます。

これが幕末期の平田篤胤らに継承されて
明治政府の廃仏毀釈に繋がっていますが、
廃仏毀釈より遥かに苛烈だったとされ、
なぜここまでやる必要性があったかは
苦しい理由がつけられている様です。

八幡と言えば源氏が出て来ますが、
平家であれば八幡神を嫌うのは
当然と言えば当然の話しになります。

八幡神は余りにも本質から外れた
伝承が多く捏造されていますが、
敬意があれば出来ない話なので、
敵視される事の多い神であれば
侵略者の側からは都合の悪い
守護神的な存在なのでしょうか。

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