垂加神道を提唱した山崎闇斎の学派が
林羅山を批判した事は知られており、
闇斎が易姓革命の思想を否定して、
君主への絶対的忠誠を強要します。
ただ本来の易姓革命は易経を読むと、
クーデターを起こす類いの物とは違う
思想であった事が分かるでしょう。
ここは既に記事に書きましたが、
実際にクーデターを起こしたのが
国学派側であったのも皮肉ですね。
儒教では統治者を諌めるために、
民の事を考えず酷い政治をすれば
革命を起こされますよと言う類いの
忠告で用いられていたりしますが、
その酷い政治を強要しているのが
国学派であったのが黒い話でしょう。
上が酷くても絶対的服従を強いて、
下は謀反を知っても報告しないと
罰せられるとする話を聞くと、
絶対神への服従を連想しますね。
これが神道と言うのですから、
羅山の神道と相容れない事は
容易に想像が出来るでしょう。
唯一の神だから絶対と言うのは
かなりのジャイアニズムですが、
羅山の神概念とは異なります。
天子から庶民に至るまで修身を
基礎とすると言うのが朱子学で、
例え王であっても道に外れれば
因果が廻るのが前提であれば、
政治は道理を明らかにした上で
道に合致する事が要となります。
天子に徳が無ければ天によって
すげ替えがなされると言うのが
儒教の思想とされていますが、
徳が無くても容認する天なら、
絶対的権威を権力者に付与する
支配者に都合の良い神ですね。
御天道様が見ている思想は
現代にも残っているのですが、
バレなければや強い者勝ちは、
悪魔との契約で欲を満たすのと
非常に近い所にありそうです。
国家のトップが祭祀する神が、
道に合致した天子を求めるか
天子の非道を良しとするかで、
大きな影響を受けるでしょう。
為政者でないただの庶民でも、
修身により神に通じる事を
基礎とする江戸時代の学問は、
キリスト教で日本を支配したい
イギリスからは都合が悪く、
隠蔽が必要となりますね。
現代の日本の政治を見ても、
根幹に悪魔崇拝的な気配を
感じる人は多いでしょうが、
バックは海外勢力です。
しかし羅山の学問に対する批判は
江戸初期から行われていたので、
国内にも類似した勢力の存在が
存在していたのかを調べたくなる
衝動に駆られる気持ちになります。
江戸時代の神道には大きく分けて
二つの潮流が存在していますが、
この二つの流れの源流を探ると、
この二人の周辺に行き着きますね。
ではここが不明瞭な状態であれば
それ以降の研究も不明瞭となり、
大幅に解釈を間違える可能性が
非常に高い物となって来そうです。
闇斉は羅山と同時代の人物ですが、
彼の神道思想や学問のみでなく、
周辺人物やそこに至るまでの流れに
余りにも大きな謎が存在しています。