地元での動き
最近、地元の人達と話をしていると、地私の研究の認知度が上がっている感触が強くなって来ていますね。 知り合いの経営者に話をしに喫茶店に...
遥かなる太古の三遠と今後のビジョンの探求
最近、地元の人達と話をしていると、地私の研究の認知度が上がっている感触が強くなって来ていますね。 知り合いの経営者に話をしに喫茶店に...
朱子学者として羅山が世に出る前、冷泉家の藤原惺窩(せいか)が名を馳せていたとされており、羅山より2歳も年上の朱子学者で藤原定家の11世の孫...
慶長八年(1603)に江戸幕府が開かれた時、21歳の羅山が儒学の公開講義を行いました。 学問は門外不出の秘伝とされており、朝廷の許し...
江戸幕府による文治政策や諸藩の学問奨励策などの結果、藩校や私塾が発達しただけでなく活発な神道研究も始まりました。 儒学は五山(臨済宗...
林羅山の時代は学問や教養が立身出世と結びつくのは僧侶の社会だけだったとされ、戦が終わり武士が学問を求め儒学を教学として導入した事で、僧侶の...
林羅山の本名は松永尺五とされ、十三歳の時に豊臣秀頼の前で『書経』を講じて満座の人々を驚嘆させた事が伝えられます。 そこから豊臣氏が滅...
以前のブログ記事でホピの問題の協力を求めた事があったのですが、現地に行って色々と話を聞いて、確認した話から当面は問題無いと判断して放置して...
儒教における易姓革命とは、天帝から天命を受命した天子が徳を失う事により資格を失うと天命が改まる事を言います。 これは民衆が革命を起こ...
林羅山の行った悪業として、湯武放伐論を家康に語ったり、方広寺鐘銘事件での誘導や剃髮や民部卿法印などが、挙げられている様ですね。 湯武...
小林秀雄氏の有名な評論「学問」には、林羅山の評価が記されています。 総じて、外的な政治力は、思想伝統の生き死にを、本質的に左右する力...