遠州の土師氏
太田亮氏はその著『遠江』で、出雲国造の同族・土師部の一族が、天平十二年(740)に記された「遠江国浜名郡輸租帳」の古代史料編に「戸土師小真...
遥かなる太古の三遠と今後のビジョンの探求
太田亮氏はその著『遠江』で、出雲国造の同族・土師部の一族が、天平十二年(740)に記された「遠江国浜名郡輸租帳」の古代史料編に「戸土師小真...
行基が公共事業をなした事は有名ですが、決して彼一人で行った訳ではなく、当然、集団を指揮して運営していました。 行基の元に大勢が集まっ...
メルマガ読書と行基の出生地に行って来た事がありますが、実地調査は色々と発見があります。 地元の人に聞いた場所に行ってみると、行基伝承...
行基は東大寺の大仏の建立を任されますが、完成を見ずに他界したとされています。 行基が天平二十一(749)年二月二日に和泉の国(現堺市...
石野修氏は『遠州渋川の歴史』で、引佐町四方浄に熊野三社があり、四方仏の拠点があったとしています。 熊野と言えば徐福なのはもう良いです...
浜松市北区引佐町四方浄には多くの行基伝説や資料が残され、村に存在していた縁起書が、『仮題四方浄行基の事』の名で資料として書き残されたそうで...
有難い事に地元の書店に本を置かせて貰っていますが、三十冊程度納品していたら、全て売り切れて電話も来たと、追加の納品を頼まれました。 ...
行基は668年に生まれた説や、658年に諸国の家ごとに仏舎を造り、仏像を刻み経典を置かせた説など、色々と矛盾した伝承があります。 こ...
静岡県西の大平洋側から北上した山脈の中の、四方浄の行基堂に行基発祥の縁起書があります。 668年に中田の里で法華の妙音のような産声で...
今までの私の研究で言うと、 徐福から邪馬台国を経て 邪馬台国滅亡の壬申の乱まで ある程度書いて来てはいます。 そこから志多羅神上洛事...