垂加神道と南朝の神道
平泉澄氏による山崎闇斎の研究では、闇斎が北畠親房の神道に関わる著を発掘した事が指摘されています。 北畠親房と言えば南朝の記事で触れた...
遥かなる太古の三遠と今後のビジョンの探求
平泉澄氏による山崎闇斎の研究では、闇斎が北畠親房の神道に関わる著を発掘した事が指摘されています。 北畠親房と言えば南朝の記事で触れた...
林羅山の研究をしているので、今年の始めに京都に行った時、藤原惺窩の墓参をしようと、相国寺に寄って来ました。 東口からすぐに墓地があっ...
丸山眞男氏は『日本政治思想史研究』で、闇斎の家を訪れると獄に下る様な気持ちで、家を出る時は虎口から逃れる気がしたと、高弟の佐籐直方の発言を...
今年の始めに京都に行った次の日に某御神体山に上って来たのですが、かなり酷い目にあいましたね。 道標に遺構と書いてあったので、遺構に行...
山崎闇斎の厳格さは江戸時代を通じて語り伝えられたとされていますが、江戸後期に原念斎(1774〜1820)が儒学者達の逸話を『先哲叢談』に記...
江戸時代には山崎闇斎が朱熹の著作のごく一部だけを学んでいたという説が、語り継がれて来たと言う事です。 闇斎に大きな影響を与えたのが、...
垂加神道を提唱した山崎闇斎の学派が林羅山を批判した事は知られており、闇斎が易姓革命の思想を否定して、君主への絶対的忠誠を強要します。 ...
羅山の歴史学は考証学的な傾向があり、中国の歴史学の伝統を継承した物とされ、歴史を学ぶ事で今を鑑みる鏡とする、儒教的な思想がベースとなってい...
羅山の主著である『本朝神社考』の序文において 今我神社考に於ける、遺篇を尋ね耆老に訪ひ縁起を伺ひて、之を旧事紀・古事記・日本書紀・続...
超古代史の都市伝説で語られるのがシュメールと日本の関係性ですが、『東三河の徐福伝承』を寄贈した研究者から電話がかかってきて、書いてある所に...