阪神神社

六甲山には阪神神社が鎮座しており、
野球ファンが参拝するかと思いきや、
これもグルームに関係しています。

六甲山が現在の様な姿となったのは、
グルーム以後に阪急と阪神という
二大鉄道会社が激しい開発合戦を
繰り広げた結果であったそうです。

グルームの後に六甲山開発に
いち早く乗り出した阪神電鉄に
関わる神社とされていますが、
グルームの建てた神社の近くに
鎮座しているようですね。

阪神の三崎省三技術長が
明治四十三年(1910)に
スイスで山岳リゾートを調査、
帰国後の大正元年(1921)に
登山者のために阪神クラブを
開設したのが嚆矢とされます。

後に昭和三年(1928)には
大正十二年に設立された
六甲越有馬鉄道会社を子会社化、
六甲山上に広大な土地を取得し
大規模な開発に乗り込む事で、
昭和七年に六甲ケーブルが開通。

グルームに端を発した開発が
行われる事になったもの、
六甲山の土地が安かった事が
大きく影響していたようです。

元は信仰の山であったのに、
明治維新後の神仏分離で
修験道は大ダメージを受け、
山岳崇拝が追いやられた後の
開発競争の流れがあります。

イワクラや山岳崇拝の基礎研究を
十分に行った上での取り扱いを
考えるべき時期だと思いますが、
壊せば元には戻らないので、
私も含めた研究者達の努力が、
必要な時期ではあるのでしょう。

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