男尊女卑

江戸の文献を読んでいると、
朱子の言葉を引用して、
「知は崇く礼は卑し」と、
語られる文献がありました。

崇くはたかくと訓じられ、
卑はひくくと訓じられ、
いやしいとは別の意味で
用いられていたのではと
考えさせられる一文です。

天に達する知を持ちつつも
儀礼で神々に高慢な態度で
接していては問題なので、
腰を低くしないとNGです。

しかし謙遜ばかりしていて
必要な事が出来なければ、
これはこれで問題ですね。

天が尊く地が卑いと言うのは
人の上と下にあるとだけで
差別用語では無かった事は、
天神地祇の祭祀の存在から
伺う事が出来るでしょう。

男尊女卑も女性が卑しいと
言っている訳で無いのなら、
差別用語ではなく区別です。

明治は江戸の教育が色濃く
残っていた時代ですが、
女は半歩下がってと言う
言葉の解釈も問題ですね。

俺が殺されてもお前は生きろが
本来の意味であったとするなら、
真の意味での男らしさについて
考えさせられる所があります。

明治以降に外来系の文化に
無意識に染まったのなら、
洗い直しも必要でしょう。

何故か女性差別が酷いので
女性性の時代が良いと言う
極論が見受けられますが、
女が男の権力を求めれば
同類の腐った世界に落ち、
困った話になって来ます。

恋愛も大抵は同レベルの
男女が付き合うので、
棚上げをする議論では
どっちもどっちです。

女性には女性としての価値が
存在しているはずなのに、
これを度外視する議論では
良い未来が見えませんね。

日本も女性の首相が誕生し
大きく変わりそうですが、
卑弥呼や孝謙天皇などの
女性トップもいしました。

しかし私の研究からは、
彼女らは先住民族系の
王権に位置していた
可能性が高そうです。

新羅にも善徳女王がおり、
こちらもヘレニズム系の
王朝であった様ですね。

ヘレニズムでは女性の力が
農業生産力に絡められたり、
女神の神話も詳細であり、
一神教系とは異なる形の
女性性が認められています。

女性は大地や畑ともされ、
自然界の神秘力を無視し
地を卑しい物とするのは、
一神教的な思想です。

欧米の支配から脱するには
政治的な話だけではダメで、
文化的侵略も非常に深刻な
悪害を与えて来ています。

女性総理大臣の誕生に伴い
視野を広く取る事をすれば、
この国の自立を更に強く
推し進められるでしょう。

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