林羅山の行った悪業として、
湯武放伐論を家康に語ったり、
方広寺鐘銘事件での誘導や
剃髮や民部卿法印などが、
挙げられている様ですね。
湯武放伐論は革命の正統性を
家康に語った事で豊臣討伐が
行われたと言う話ですが、
後に革命を否定した事から
色々と言われたと言う事です。
剃髪や民部卿法印は儒者なのに
職につくため僧侶になった話で、
見方によっては柔軟な思考が
評価されても良さそうです。
最も有名なのが豊臣潰しの
言い掛かりとしか思われない
方広寺鐘銘事件なのですが、
近代になって更に広域に
悪口が及んだ感じがします。
儒学者と相容れない行為に
出世欲が見れると言う非難が
垂加神道側から出されており、
政治と言うより宗教界から
非難されている形になります。
しかしこれらが本当に出世欲で
行われた物であったのかには、
様々な疑問がついて周ります。
羅山への批判の根拠を洗うと
面白い事が分かって来ますが、
彼を敵視した垂加神道こそが、
明治維新にまで大きな影響を
与え続けた思想となります。
幕府側の羅山の思想と近しいはずの
神道と儒教の習合した学問を教え、
その結末が倒幕活動となったなら、
江戸初期からその火種が存在して
大きな動きにまで拡大した勢力が、
羅山を敵視した可能性が浮上します。
羅山と垂加神道には根底から
決定的な違いが存在しますが、
幕府が天皇をどう扱うのかに
密接に関わっている物でした。