近年では古事記が有名になっていますが、
江戸中期までは日本書紀が古典とされ、
古事記に触れたのは十八世紀に入って
本居宣長が語ってから以降とされます。
なぜ二冊も同時期に編纂されたのに、
内容が違っているのでしょうか。
中国人は日本書紀をスラスラ読めるのに
古事記は全く読めないと言われますが、
日本書紀は外交用に編纂されています。
神功皇后に卑弥呼を匂わせたり、
ヤマトタケルに倭王武との符丁を
織り混ぜたりしているのですが、
中国の史書に記された倭の記述に
整合性を取ろうとしています。
古事記は神道系の密教において
重視される書物とされており、
言霊解釈等が盛んになったのは、
本居宣長による所が大きいですね。
ただ言霊と言っても神名に含まれた
暗号を解く類いの物のようなので、
書物の構成などの話になって来ると
議論の対象になる話が多くあります。
江戸初期に神道界に進出した
垂加神道にも表に出さない所が
かなり存在していましたが、
一神教系の密教的な修行すら
行われていた可能性があります。
ここは詳しく書きたいのですが
余りにも危険な問題が含まれ、
軽々しく書けない領域です。
古事記の神々の系譜が旧約聖書と
酷似しているとする研究があり、
著者も秦氏とされています。
日本書紀は持統天皇までですが、
古事記は三十三代の推古天皇で
終わる構成になっていますね。
古を推する天皇と書きますが、
摂政の聖徳太子は馬小屋生まれで
キリストを連想させて来ます。
33はユダヤ教神秘主義で重視され、
某秘密結社も33階級とされます。
では日本にも陰謀論で語られる様な
秘密結社的な裏の組織が存在し、
江戸幕府を転覆しようとしていた
可能性はゼロなのでしょうか。